気に保護せられて、奈良以来の旧貴族階級の歌風を圧倒した。
かうして新しい貴族風の歌は出来たが、其最初から角のすりへらされた、近代的感覚のないものであつた。此点ばかりに就て言ふと、新古今は、傾向としては、遥かに存在の意義があるのだ。古今の作者不明の旧時代の作物が――選者等の鑑賞に適した物とは言へ、――十中八まで、選者以下当代人の作物より優れてゐる事は、主義の上ではよくても、創作態度や、生活力の劣つて来た事を見せてゐる。後撰《ゴセン》集には稍旧貴族風に戻さうとする無意識の動きが見えてゐるが、其とても古今の歌風の固定して来た為の、空似かも知れない。其以後、古今集の成立に、醍醐聖帝垂示の軌範と言ふ意義を感じて、此歌風の中での小変化は許されても、飛び離れた改革は行はるべきものとは思はれないでゐた。
短歌では、万葉集――別の理由で、ある部分まで、勅撰の意義を持つて編纂せられたらしい――を除けると、漢詩文よりも、欽定集が遅れて出た。文学としての価値の公認の遅れた為だ。嵯峨朝の欽定による漢詩文より、五十年後に短歌選集の勅撰せられたのは、国民的自覚と言ふよりも、其動力となつた漢文学の思想に対しての、理会
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