な作物ばかり作つたらうと思はれる定家・家隆なども、家集の拾遺愚草其他や、壬二集を見ると、生れ替つた様な――悪い意味ながら――自由さが見られる。だから、新古今集の主題と考へられて来た、あの歌風の中心になるものは、歌人連衆の雰囲気が作り出した傾向であつたのだ。歌合せの醸した群集心理であると謂へよう。
唯、其音頭をとられた後鳥羽院の性格・気分が、一番其に近かつた。さうして、其が流行を導き、後々は、院一人其を掘りこまれる様になつた。だから新古今は、後鳥羽院の作風の延長と称しても、大した不都合はない。だから、今度の「新古今抄」即《すなはち》隠岐本は、其意味に於て、院の歌風・鑑識を徹底的に示した、理想的な「新古今集」と言ふことが出来よう。

     三 至尊歌風と師範家と

増鏡「新島守り」の条では、声のよい教師のえろきゅうしょん[#「えろきゅうしょん」に傍線]などを聴かせられると、今も、中学生などは、しんみりと鼻をつまらせる。あの文章で、一番若い胸をうつのは、地の文ではない。やはり院の御製である。今からは稍《やや》事実に即した、叙事気分に充ちたものと思はれるが、あの当時の標準からは、最上級に鑑
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