教養を得させたのは、これ等遊民(隠者階級)の趣味から出たのであつた。
一蝶・民部・半兵衛などの徒に、理くつの立たぬ罪名で、厳罰を下される様になつたのには、訣《わけ》がある。隠者階級の職業を、歴史的・慣習的に認めてゐたので、此方面をあまり問題にする事は、ぐあひが悪かつたらしい。こんな変改を重ねて行つた其種子は、俊成・長明・西行・俊恵あたりに既にあつたのである。歌道師範家は堂上の隠者から、地下の隠者からは連歌師が岐れて、堂上に接触するやうになつて、隠者・寺子屋主の房主以外に、一つの知識階級を立てたのであつた。中間の、一番法師らしい西行式の生活は、だから隠者一類の理想でもあり、凡人生活との境目になつて居た。
隠者がつた「月清集」を見ても、表面には、平安中期からの内典読みを誇つたなごり[#「なごり」に傍点]や、法楽歌や、讃歌や、僧俗贈答、或はずつと隠者を発揮した漁樵問答などゝ随分あるが、全体の主題は、新古今集風をゆるめた、稍《やや》安らかな気分なので、謂はゞ千載集に近い印象を受ける。文学上、後鳥羽院と互ひに知己の感の一等深かつたらしい良経すら、家集と新古今では、此位違ふ。上辺《ウハベ》は、難渋
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