どの、道を開いた頃とは、非常に上辺《ウハベ》を改めた。だが、中心たる女房時代以来の文芸顧問の意義は何処までも続いた。而も大変改のあつた様に見てくれ[#「見てくれ」に傍点]を作る根本原因となつた。消息文・贈答歌の代作・代筆は固より、物語を読み聞かせたり、創作の手引きをする事は以前の通りである。物語の扱ひ方は、古書講義と言ふ形をとつた。創作の手引きは、連歌誹諧指南を表芸とする連歌師なる渡世を発生した。文学の職業化した、日本での最初の形である。
代作・代筆は、艶書の場合が多い。吉田兼好の、あはれ知らぬ荒夷《あらえびす》の為に書いたと言ふ艶書一件は、自作ならぬ歌が入つて居た処で、うそ話と言つて了へない隠者らしい為事なのだ。兼好が代表となつて、室町頃の隠者生活を語つてゐるのである。頓阿も兼好も、法体してゐるからと言つて、女房伝来の為事をしないはずはない。此等の人は、歌も作り、連歌も教へたのだ。並《ナラビ》个岡の隠者のした旅も、西行の行脚とは違ふ。宗祇・宗長等の作と伝へる沢山の「廻国記」も、西上人の姿を学びながら、檀那場なる武家・土豪の邸々を訪問する一種新様の「田舎わたらひ」の副産物であつたのだ。
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