南北朝になつては、二十巻の連歌集は、選者摂政関白名義で奏覧まで経て、勅撰集に準ぜられる様になつた。かうした連歌の文学的位置の向上と共に、連歌も誹諧も、又連歌師自身の境遇も、よく改つて行くのは、其はずであつた。隠者の様式・条件の具らぬ隠者も、段々出て来た。髪の禿《かむろ》に切つたものも現れた。聯想が変化自在に、語彙の豊富で、拘泥を救うて一挙に局面を転換させる機智の続発すると言つた素質さへあれば、町人・職人も、一飛びに公家・大名の側に出られる様になる。原則である隠者の生活の禁慾主義も、同朋の仲間に入れられたものは、或点まで実行して居たが、外に住む自由な連歌師には、妻も迎へ、髪も短く蓄へた輩もあつた。此が、室町末から安土・大阪時代を経て、江戸の元禄頃まで続いた、連歌師渡世の外輪である。
江戸の初めの戦場落伍の遊民たちの大阪末の成功夢想時代から持ち越した、自恣な豪放を衒《てら》ふ態度は、社会一般に、長い影響を及した。うき世の道徳や、世間の制裁などを無視する様な態度を、心ゆかしにしてゐた。どだい、隠者階級の人生観は、伝統的に異風なものに出来てゐる上に、かてゝ加へて、此|気質《カタギ》が行き亘つ
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