「めど」に傍点]に据ゑて居たのであらう。此若い貴人の生れた頃から、さうした生活様式が、世間に認められて来かゝつたのである。
王朝末には、仏徒自身の生活態度が省みられ出した。大寺院は一つの家庭で、在家と等しい、騒しい日夕を送らねばならない。心深い修道者は家を捨てゝ這入つた寺を、再、捐《す》てなければ、道心は遂げられなかつた。出家の後、寺には入らず、静かな小屋に、僅かな調度を置いて、簡素な生活を営む。庵に居る時は、仏徒としての制約によつて居るが、世間風の興味も棄てるに及ばぬ自由を持つて居た。才芸に関する事は、禁欲の箇条に触れない。楽器・絵巻などさへ、持ちこんで居た。里や都に出れば、権門勢家に出入りしては、活計の立つ位の補給を受け、主として文芸方面の顧問としての用を足したのであつた。王朝末期には段々、女房の才能が平安朝に成立した其職分を果すには堪へぬ様になつて来て、女房のした為事は、段々其等隠者の方へ移つて行つた。此が、武家初期・中期(室町以前)から後期の初めに亘つての隠者の文学と、変態な生活法とを作つて行つたのだ。
かうした修道生活の徒の存在が明らかになつたのと、連歌復活とは、時を一つにし
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