袴をば……」とある。論義即「歌問答」である。百因縁集には「真福田丸が葛袴《フヂバカマ》。我ぞ綴りし。片袴」となつてゐる。今様合せの片方の形である。尚、歌論義と言ふ書物さへあつた。
此考へ方からすれば、今様合せは勿論、連歌・歌合せの、講式や論義から出て居る点が考へられる。歌垣から流れ出た種子が、独自の発達をしてゐた傍、仏家の法式や、漢文学の態度に内も外も洗煉せられて、真に文学らしい形を具へて蘇つたのは、やはり新古今集と時代を一つにしてゐる。殊に、連歌はさうである。連歌の復活した事を時代の目安として、武家初期の結界を劃したく思ふ。連歌・誹諧の発想法の成立した事は、日本の精神文明の上の大事件である。支配階級の更送や、経済組織の変改などを、其原因と考へるだけでは足らない。其は、連歌・誹諧から、新しい生活の論理が導かれた事である。
良経の変名から、隠者階級の文学の影響が見たいのだ。「秋篠や外山の里に清む月」を独り眺める隠士の境涯に、懐しみを持つ自分である事を示し得る変名は、若い文学者らしい心を悦ばし、慰めたに違ひない。恐らくは、秋篠近い「菅原や伏見の里」に住んで居たといふ伏見の翁などを、めど[#
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