境を中心にして「いろ好み」の情趣と、段々離れかけてゐたのだ。王朝末に寺家の作風から導かれた新しい文学態度だつたのである。
だから「心なき……」と言うても、反語を含んだ遠慮を表す意味のものではなかつた。春のけしき其他から刺衝せられて「心ある」状態に入る事の出来ぬ我からも、感じる事が出来る。わびしさ・寂しさを思ひ沁ませる風物の味ひを、概念式に知る事が出来ると言ふのである。かうした「こゝろ」がどういふ風に、新古今の作風に触れて行つたかを示す為に、私としての解説を加へて置かう。
人里遠い山沢《ヤマサハ》で、身に近く鴫《シギ》のみ立つてはまた立つ。此ばかりが聞える音なる、夕ぐれの水際に来てゐる自分だ。まだ純粋な内界の事実とはならない外的情趣。其だけは、古人たちの言ふ所が、此だなとまでは直観が起つて来る。かうした事が、少し誇張せられて出てゐるのである。
「鴫たつ沢」の、地名でないと言ふ説が、有力になつて居る。けれども、歌枕の上の固有名詞と言ふ物ほど、あやふやなものはない。一度歌の上に有力に用ゐられたものは、歌枕となり得たのである。歌枕に入れば、実景を背景にして固有名詞感を持たせる様になる。鴫たつ沢の風色を思ひ浮べると同時に、歌枕なるが故の地名的理会が、人々の気分に起つたのである。土地としては優雅な固有名詞を持ち、幻影として伴ふは、其沢の名に負ふ寂しい鴫たつ様である。此関係は、誹諧・発句の季題の効果同様であつて、其導きを為すものであつたのだ。
かうした幻影を被つたかうした土地に、秋の夕ぐれ、孤影を落して立つ様をも思ふ事の出来た当代の人には、心なき身といふ語も、決して反語とはとれなかつたであらう。俊慧に言はせれば「知られけり」が「野べの秋風身に沁みて」同様の見方から「腰の句したゝかに言ひ据ゑたり。あはれ乏し」とでも言ふだらう。けれども此歌、西行はやはり時代的文学態度から、極めて自然に作り成したので、近世の人の考へる様なこけおどし[#「こけおどし」に傍線]風な考へは、まじへなかつたらう。
後鳥羽院は、心ある[#「心ある」に傍線]方であつた。併し其は、前代の用語例に入るものである。当代の用法では、もう完全な「心ある」ものではなかつた。西行等の作物を中心として見られる「こゝろ」は、いろごのみ[#「いろごのみ」に傍線]に添へる一種の匂ひとして、とり込まれたに過ぎない。恋愛の孤独観や、風物の
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