ら出た儒学者の中にも、歌の方へ方向を転じる者も出来て来た。顕輔系統と俊頼系統との外に、尚幾流も、さうした半成立の歌学伝統が出来かけて、一二代で、伝統を失ふ者もあつた。大体に、顕輔統には、歌学・歌論が多く、俊頼統には、尠かつた。
俊成は、顕輔伝統に養はれて居た間に、其に通じて了うたのであらう。基俊の学殖と、古態の歌と、俊頼の今様の詠み口を併せて、更に其他の諸家の主張や、伝承を吸ひ込んだ。其上、古今・伊勢・日記・家集などを研究した。大成家であり、伝統の綜合者でもあつた。其作物を見ても、ある物は寧、平水付した様に見え、諸派の味ひを兼ねて居る様であり、ある物は、個々の流義に傾いてゐる様に見える。古態・新態・変態・漢様・寺家様・至上風・女房風・殿上風・地下風と変化自在に見える。
だが、この人の素質にぴつたりしてゐるらしい歌風は、女房風のものらしい。俊成の若盛りから女房風は、纏綿連環のしらべ[#「しらべ」に傍線]を著しく見せて来た。小股すくひ[#「小股すくひ」に傍線]や、人ぢらし[#「人ぢらし」に傍線]ははやらず、心くらべ[#「心くらべ」に傍線]の形になつて来た。物語歌と地の文との関係に創作動機の別殊な動きを感じて、此をとり入れようとしたのは女房風に対する理会があつたからである。女房風は、わが真心の程度まで、相手が心があるかと疑ふ態度で、不満足を予期した様な、悲観気分が満ちて居る。あらかじめ、失恋してかゝつて居るのだ。失恋歌が、女房歌の中心になつて来た。しらべは纏綿、歌口はねつとりであつた。さうして其よりも、もつと離れた位置から、情趣の世界と、気分とを描かうとする態度を感じたのであつた。自分は第三者として即かず離れずに居て、純主観態度から出ぬ味ひのある事を知つたのである。前代以来感傷誇張の小説化の傾向を持つて来た女房歌流の抒情詩は、俊成の努力で著しく変つて行つた。
千載集以後の恋歌の特徴は、中性表現のものである。恋のあはれ[#「恋のあはれ」に傍線]を描きさへすればよいので、自分の実感吐露や、心理解剖は、二の次になつた。贈答用の機智や恋の難題を詠み了せる事の外に、今一つ美しい幻影の存在をば知つたのだ。恋する人の心が、叙事的興味から起る情趣に包まれて、真実よりも優れた美として触れる事を目がけたのだ。しらべ[#「しらべ」に傍線]の裏にはあはれな人生が纏綿して来た。源氏物語風の柔いだ悲
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