学者源順などの方法の外に出てゐる。思ふに、曾丹は、あの作物を残したに拘らず、儒者気質の頑冥と、自負と、卑陋とを含んでゐる点、其出身の学曹たる事を暗示してゐるのである。源順などゝ識つたのも、さうした関係からであらう。

     五 儒者の国文学に与へた痕

曾丹は、女房歌の抒情主義に対して、叙景態度を立てた人であらう。或は寧、情趣本位の主客融合境地をおし出して来たものであらう。古今「よみ人知らず」の風である。梨壺の歌人は、学者と伝統者とであつた。学者は、漢学見地から、短歌に学術的の基礎を与へようとする為に置かれたのだ。曾丹の出た時分は、詩文における故事・類句を見習うて、歌の上にもさうした物によつて、歌の品位と学問的位置が、確かにせられようとしかゝつた時であつた。まくらごと[#「まくらごと」に傍線]が歌としても生じなければならなかつた。和歌所の人々は、万葉・古今其他から其を採り出さうとした。
曾丹は、稍方面を異にした。気候方位の月位の月令式主題を採つて、之に恋歌を対立させた。其所属として口ずさみ歌――手習歌にも――にとの考へだらう。雑の部にでも入れるべきものを列ねてゐる。二個所、四季・恋の次に、五十首づゝある。方位に属する物名の歌は、其中十首で、呪文などの形に模した物らしい。此は、四季・恋に対する雑《ザフ》とも言ふべきものである。雑歌が歴史的の意義を持つてゐる事は明らかであつて、謂はゞ、歌物語を簡明に、集成したものであつた。
曾丹集に此条には二個所とも、安積山・浪花津の事を記してゐるのは、多分好忠の新作で、古風を模したものであらう。同時に、口ずさみ[#「口ずさみ」に傍線]歌を手習ひに用ゐた事も知れ、其が歴史教育の積りの物語歌であつた事も訣るのである。さうして歌の功徳を呑みこませたものである。其上此歌は「あさか山」の歌と「浪花津」の歌との一音づゝを句の首尾に据ゑた言語遊戯になつてゐる。
手習帳を双紙と言ふことも、用語の上からの名で、冊子と謂はれた体裁の本が、多く手習ひに用ゐられた為、手習ひに使ふ物は、皆冊子といふ事になつたのだ。折り本の法帖風の物が、習ふ者・教へる者両方に用ゐられたのであつた。口遊《クイウ》・枕冊子はじめ、倭名鈔・字鏡・名義抄の類から経文類まで書写せられる様になつたのである。さうして、事実と文字と、語彙と、社会知識とを習得させるのだ。
其が少年から成人に
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