水観音の詠と伝へる歌などは、殊に象徴的に響く。本歌がありさうでない処に、沈黙の芸術としての価値も、ある文学論者からは与へられさうだ。だが、此歌は、無知の歌占・尼巫子などの平俗な語彙に寓《やど》つた、放心時の内的律動の姿である。勿論、社会意識の綜合せられた一種の暗示を、唯普遍的な語と句との列りから出した、優越感に充ちた音律で、社会を抱括する様な語感を持つてゐる。而も辻棲の合はぬ空疎な個処がある。
俊成も「しめぢが原」や、住吉の諸作、其他の神仏詠から暗示を得たものらしい。平明な中に、稍寂寥感を寓した、無感激な物を作り出した。此が後進新古今の同人の信条とせられてゐた。此が恰《あたか》も形式万能主義殊に、連歌の影響から、聯想で補ふ句の間隙に興味を持つて来た時である。意義の断続の朧ろな処を設け、又かけ詞・縁語・枕詞などに、二重の意義を持たして、言語の駆使から来る幻影と、本来の意義とを殆ど同等の価値に置く様になつた。
即ち、幻影の不徹底な仮象と、本意のおぼろな理会との、交錯した発想を喜んだのだ。一面、暗示的なのと同時に、描写風な半面がある。外界の現象は即、内界の事実であり、心中の感動は、同時に自然の意思である。文学的に言へば、象徴主義の初歩だと共に、象徴の上に、更に感覚を重んじたのであつた。形式と、内容との印象を極度に交錯した。さうして其間に間隙を作つて、複雑な動きの間、瞬間の沈黙を置いて、更に次の激しい動きに移る。静的な幽玄主義が、動的な新古今風の姿――即たけ[#「たけ」に傍線]――の極端に緊張した、内容の錯覚的な官能的幽玄主義に展開した。四季の歌では、印象派の様な気分的の物もあり、又古今以来の絵画主義を拡げて趣向歌のまゝで感覚表現に突進したのもある。宮内卿の歌の様なのが、其だ。此人の作物は、経信以後の趣向歌或は、絵画美に囚はれてばかりゐたとは言うて了へぬ。時代がよくて、其上、命が更に長かつたら、玉葉・風雅の永福門院に達するはずであつた。自然の上に対して加へた人為的構図も、此人にとつては、わるいと共によくもあつた。趣向歌の臭味に掩《おほ》はれないで、鋭い感覚が写されてゐるのである。
幽玄主義の歌は、新古今集に到つて、瞬間に起る実感・観念の雑多な交錯を同時に表す態度まで進んでゐた。唯さうした意識はなく、幽玄体の名の下に、物我融合の境涯を理想しながら、たけ[#「たけ」に傍線]を重
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