廷巫女なる内外の命婦以上の高級官女が、臨時・非公式或は、至上個人としての相聞・感激の御|口占《クチウラ》に、代作或は添刪に与る風が、殊に著しくなつて来たらしい。其でも、詞章の伝習的律格と、発想上の類型を守つてゐた。其で、至上は固より皇族の歌風は、単純化された、古典的で大柄で、悪い方から言ふと、印象の不鮮明な、内容の空疎な、しらべ[#「しらべ」に傍線]の無感激な、描写性の乏しい物になつて行つたのである。此が、至上の生活に親しい侍臣や、宮廷生活を模倣した高級公卿などの歌風をも支配した。
公卿殿上人の歌が民謡・詞曲又は唱文としての製作から、文学意識を加へ始めた頃のものは、伝来の叙事詩或は、其断篇なる由縁ある雑歌の新時代的飜訳であつた。宴遊歌の発達して出来た叙景詩の素地も、其外に古くからあつた。叙事脈の賦・伝奇小説・情史・擬自伝体艶史の影響が、新叙事詩を作り出した様に、稍遅れて、漢詩の観察法・発想法が、宴遊・覊旅の歌の上に移されて来た。公卿以下の短歌が文学態度をとつたのは、叙景詩以後で、其初めのが、万葉巻八・十に出て居る。
公卿殿上人の歌風が定つて来た平安初期から、そろ/\地下《ぢげ》・民間でも、民謡以上に、創作欲が出て来て、前期王朝の宮廷詞人の様に、地下階級の吏民にも、歌人が現れて来た。此人々は固より、殿上以上の歌風を模倣して出たのだが、稍自由な、感覚の新しさや、多少の時代的色彩があつた。かうした地下の歌風が混じて、殿上の歌風は、取材は新しいが、感激の伴はないもの、感激は見せても理智からわり出した機智式の趣向やら、新鋭なものと、鈍重なものとの接触から来る折衷態度が、古今集の歌風を濁らした。
併し其が、地下の武官忠岑や、地下に近い博士の血を享けた貫之等によつて導かれたのは、貴族階級の文学の弱点を示してゐる。一番外来の刺戟を早くとり入れるが、固有の物にさうであつた様に、新来の物に対しても、把持力が薄い。其為に直様、在来の類型に妥協させて、新しい特殊な点を忘れて了ふ。外面と概念とは会得しても、内生活には、没交渉な鵜呑みの模倣をする。階級意識から出る文化主義や、虚飾態度を、儀式制度と同様に文学にもとり入れた。だから、新しい皮嚢《かはぶくろ》に、依然、老酒が満ちて来てゐた。でも、見るから古めかしい物よりも、新しい題材や、技巧は目に付く。かうして、古今集の歌風は、宇多の趣味・醍醐の鋭
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