な作物ばかり作つたらうと思はれる定家・家隆なども、家集の拾遺愚草其他や、壬二集を見ると、生れ替つた様な――悪い意味ながら――自由さが見られる。だから、新古今集の主題と考へられて来た、あの歌風の中心になるものは、歌人連衆の雰囲気が作り出した傾向であつたのだ。歌合せの醸した群集心理であると謂へよう。
唯、其音頭をとられた後鳥羽院の性格・気分が、一番其に近かつた。さうして、其が流行を導き、後々は、院一人其を掘りこまれる様になつた。だから新古今は、後鳥羽院の作風の延長と称しても、大した不都合はない。だから、今度の「新古今抄」即《すなはち》隠岐本は、其意味に於て、院の歌風・鑑識を徹底的に示した、理想的な「新古今集」と言ふことが出来よう。
三 至尊歌風と師範家と
増鏡「新島守り」の条では、声のよい教師のえろきゅうしょん[#「えろきゅうしょん」に傍線]などを聴かせられると、今も、中学生などは、しんみりと鼻をつまらせる。あの文章で、一番若い胸をうつのは、地の文ではない。やはり院の御製である。今からは稍《やや》事実に即した、叙事気分に充ちたものと思はれるが、あの当時の標準からは、最上級に鑑賞せられてよいはずだ。院の御不運を、うはの空に眺めた排通俊派の公卿たちも、あれを伝聞しては、さすがに泣かされて了うた事であらう。あの時代としての、最近代的な歌風であつたのである。創作因となつたはずの、
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わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと、人には告げよ。蜑の釣り舟(小野篁――水鏡・今昔物語)
わくらはに問ふ人あらば、須磨の浦に、藻塩垂れつゝわぶと答へよ(在原行平――古今集巻十八)
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小野篁・在原行平が、同情者に向つて物を言うてゐるのとは、別途に出てゐる。
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われこそは新島守りよ。隠岐の海の あらき波風。心して吹け(後鳥羽院――増鏡)
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此歌には同情者の期待は、微かになつてゐる。此日本国第一の尊長者である事の誇りが、多少外面的に堕して居ながら、よく出てゐる。歌として、たけ[#「たけ」に傍線]を思ひ、しをり[#「しをり」に傍線]を忘れた為、しらべ[#「しらべ」に傍線]が生活律よりも、積極的になり過ぎた。さう言ふ欠点はあるにしても、新古今の技巧が行きついた達意の姿を見せてゐる。叙事脈に傾いて、稍はら
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