てゐた。
歌や、ふみや、物語で、ものゝあはれ[#「ものゝあはれ」に傍線]を教へるばかりには止らなかつた。色里へ連れ出して「恋の諸わけ」を伝授するまでになつた。武家の若殿原には、此輩の導引で頻りに遊蕩に耽溺する者が出て来た。「近代艶隠者」などを書いた西鶴にも、やはりかうした俤は見られる。幇間の初めをした色道伝授に韜晦生活の仄かな満悦を感じた人々の気分は、彼自身の中にも、活きて居たであらう。時勢が時勢なり、職業が職業の誹諧師だから「艶隠者」は、其実感を以て書いたものである。「一代男」其他で、諸国の女や、色町の知識を陳《の》べてゐるのは、季題や、故事の解説を述べ立てるのと、同じ態度なのである。優越感を苦笑に籠めて、性欲生活に向けて、自由な批評と、自分に即した解釈とを試みてゐる。
其角も誹諧師であるが、同時に幇間と違ひのない日夜を送つてゐた。彼の作と伝へる唄を見ると、如何にも寛やかな、後世の職業幇間の心には到底捜りあてられさうもない濶達と、気品とが、軽いおどけ[#「おどけ」に傍線]や、感傷の中に漲つて居る。女歌舞妓の和尚・太夫などの、隔離地とも言ふべき吉原町を向上させ、大名道具と謂はれるまでの教養を得させたのは、これ等遊民(隠者階級)の趣味から出たのであつた。
一蝶・民部・半兵衛などの徒に、理くつの立たぬ罪名で、厳罰を下される様になつたのには、訣《わけ》がある。隠者階級の職業を、歴史的・慣習的に認めてゐたので、此方面をあまり問題にする事は、ぐあひが悪かつたらしい。こんな変改を重ねて行つた其種子は、俊成・長明・西行・俊恵あたりに既にあつたのである。歌道師範家は堂上の隠者から、地下の隠者からは連歌師が岐れて、堂上に接触するやうになつて、隠者・寺子屋主の房主以外に、一つの知識階級を立てたのであつた。中間の、一番法師らしい西行式の生活は、だから隠者一類の理想でもあり、凡人生活との境目になつて居た。
隠者がつた「月清集」を見ても、表面には、平安中期からの内典読みを誇つたなごり[#「なごり」に傍点]や、法楽歌や、讃歌や、僧俗贈答、或はずつと隠者を発揮した漁樵問答などゝ随分あるが、全体の主題は、新古今集風をゆるめた、稍《やや》安らかな気分なので、謂はゞ千載集に近い印象を受ける。文学上、後鳥羽院と互ひに知己の感の一等深かつたらしい良経すら、家集と新古今では、此位違ふ。上辺《ウハベ》は、難渋
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