くからの事と思はれる。
私は此を、遠処の神の、時を定めて、邑落の生活を見舞うた古代の神事の神群行の形式が残つて、演劇にも、叙事詩にも、旅行者の風姿をうつす風が固定したものと考へて居る。記・紀の歌謡を見ても、道行きぶりの文章の極めて多いのは、神事に絡んで発達した為で、人間の時代を語る物も、道行きぶりが到る処に顔を出す事になつたのである。
だが今一方に、発想法の上から来る理由がある。其は、古代の律文が予め計画を以て発想せられるのでなく、行き当りばつたりに語をつけて、ある長さの文章をはこぶうちに、気分が統一し、主題に到着すると言つた態度のものばかりであつた事から起る。目のあたりにあるものは、或感覚に触れるものからまづ語を起して、決して予期を以てする表現ではなかつたのである。
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神風の 伊勢の海の大石《オヒシ》に 這ひ廻《モトホ》ろふ細螺《シタダミ》の い這《ハ》ひ廻《モトホ》り、伐ちてしやまむ(神武天皇――記)
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主題の「伐ちてしやまむ」に達する為に、修辞効果を予想して、細螺《シタヾミ》の様を序歌にしたのではなく、伊勢の海を言ひ、海岸の巌を言ふ中
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