で、諸国に持ち歩かれた物は、固定の儘を伝へる訣に行かないで、時々口拍子から出る修正が加はり/\して、後飛鳥期の物と、直に続く様に見えるのではないかと考へて居る。
さすれば外的には、叙景の手法が既に発生して居り、内的には、抒情詩にも客観性がほの見えて来た理由が訣る。「小林に」などの、情景のかつきり[#「かつきり」に傍点]して居るのも、其為である。

     三

江戸の浄瑠璃類の初期には、必須条件として、一曲の中に必一場は欠かれなかつた――時としては二場・三場すら含むものもあつた――道行き景事《ケイゴト》は、中期には芸術化して、此部分ばかりを小謡同様に語ると言ふ流行さへ起した。さうして末期には、振はなくなつたけれども、曲中の要処とする習はしは固定して残つた。芝居には、末期ほど盛んになつたが、初期は簡単な海道上下の振事《フリゴト》、或は異風男の寛濶な歩きぶりを見せるに過ぎなかつた。けれども、歌舞妓以前の芸能にも、道行きぶりの所作は、古く延年舞・田楽・曲舞などにも行はれて居た。「風流《フリウ》」の如きは、道行きぶりを主とする仮装行列である。日本の芸能に道行きぶりの含まれて来た事は、極めて古
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