が、深く気分にはたらきかけるだけの鮮明と、斬新とがある。
かうした序歌の断篇の中、始終くり返される様になつた流行文句は、皆さう言ふ印象深い客観描写の物であつた。「いゆしゝを」の句は、万葉にも使はれて居る。「をちかたの」はある地物の隔てを越して、向うを指す句で、景色が目に浮くところから、奈良朝に入つても「をちかたの……(地名)」と言ふ風に、融通自在に用ゐられる民謡の常用句であつた。又、万葉に繰り返される「わがせこを我が……松原……」なども、抒情的で居て、印象のきはやかさ[#「きはやかさ」に傍点]のある為であつた。
後飛鳥期(舒明――天武)の歌を疑へば、万葉の第一のめど[#「めど」に傍点]なる柿本人麻呂の歌さへ信じる事が出来なくなる。万葉集にも、此時代をば、大体に於て巻頭にすゑる傾向のあるのは、記・紀記載の末に接して、ある確実さを感じて居たからであらう。
仁徳・雄略朝の歌などを、不調和に冒頭に据ゑたのは、古典・古歌集としての権威を感じさせる為であつたらう。だから、内容から言へば、後飛鳥期を以て、時代の起しとしたものと見てよい。鴛鴦《ヲシ》・を丘《ムレ》の雲・みなぎらふ水・山越ゆる鴨群《アヂ
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