現にも、形にも、理会程度からも、新しみを持つて居ると見られる。
後飛鳥期の歌で見ると、
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山川に鴛鴦《ヲシ》二つ居て 並《タグ》ひよく 並《タグ》へる妹を 誰か率行《ヰニ》けむ(野中川原史満――日本紀)
新漢《イマキ》なる小丘《ヲムレ》が傍《ウヘ》に雲だにも 著《シル》くし彷彿《タタ》ば、何か嘆かむ(斉明天皇――同)
飛鳥川 みなぎらひつゝ行く水の 間もなくも思ほゆるかも(同)
山の端《ハ》に鴨群《アヂムラ》騒ぎ行くなれど、我は寂《サブ》しゑ。君にしあらねば(同――万葉巻四)
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其外、此時代の歌と伝へる物を日本紀で見ると、
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はろ/″\に琴ぞ聞ゆる。島の藪原。
をち方のあは野《ヌ》の雉子《キヾシ》とよもさず……
小林《ヲバヤシ》に我を引入《ヒキイ》れて姦《セ》し人の面も知らず……(巫女の諷謡)
被射鹿《イユシヽ》をつなぐ川辺の若草の……(斉明天皇)
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と言ふやうに、極めて部分的ではあるが、単なる口拍子に乗つた連ね文句ではなく、外界を掴む客観力の確かさがある。だから主題に入つても、其修飾部分の効果
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