・人事に軽い交渉をつけて見たもので、根柢から心を揺り動かす種類の感動を避ける事であつた。即極めて淡い享楽態度を持ち続ける中に、纔《わづ》かに人事・自然の変化を見ようとするのだつた。時候の挨拶、暦日と生物の動静、その交渉や矛盾、――そんな事に目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて驚く古今集の態度は、赤人にはじまつて居る。
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百済野《クダラヌ》の萩《ハギ》の旧枝《フルエ》に、春待つと来棲《キヰ》し鶯、啼きにけむかも(万葉巻八)
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自然に対する同情が、仄かに鳥の心にも通ふ様な気のする歌である。けれども来棲《キヰ》しと言ふのは、全くの空想である。優美の為に立てた趣向である。冬の中、百済野で鶯を見て知つて居たのではない。棲むだらうと思はれる鶯なのである。歌はさのみ悪いとは言へぬが、調子が既に平安朝を斜聴させてゐる。前に挙げて来た彼の作物と比べると、調子から心境まで、まるで違ひ過ぎてゐる。古今集撰者らの手本となつたらうと思はれる様な姿と心とである。
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足引の山にも、野にも、御狩《ミカリ》人 猟矢《サツヤ》たばさ
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