ガ》けであつた。平安朝の文学に於ける優美は、赤人に始まると言うてよい。貫之が赤人を人麻呂に比較する程値打ちをつけて考へたのは、其流行の祖宗として尊んだのであつた。
赤人は融通のきく才人であつたと思はれる。人麻呂調の抒情味の勝つた歌も作れば、黒人式の没主観を体得した様でもある。黒人――赤人との播州海岸の覊旅歌を見ると、殆ど赤人の個性は没して居て、而も歌としては、値打ちの高い物を作つてゐる。
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桜田へ鶴《タヅ》なき渡る。愛知潟《アユチガタ》汐干にけらし。鶴なき渡る(黒人――万葉巻三)
和歌の浦に汐みち来れば、潟《カタ》をなみ、蘆辺《アシベ》をさして、鶴鳴きわたる(赤人――万葉巻六)
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此二つの歌を並べて見ると、赤人が黒人を模してゐた様はよく見える。其上、前の吉野の宮の歌二首の如きは、
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足引の 山川の瀬の 鳴るなべに、弓月嶽《ユヅキガタケ》に 雲立ち渡る(万葉巻七)
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人麻呂の此歌に、既に同様の静観が現れてゐるから、赤人の模倣した筋路も考へられる。
赤人の工夫した優美は、平穏な生活を基調として、自然
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