人麻呂を学んで脱することの出来ないで居る間に、赤人は自分の領域を拓いて行つた。彼がまづ拓いたと思はれるのは、趣向のある歌である。自然を矯める傾向はそこに兆したが、みやびと言ふ宮廷風・都会風の文学態度を創立して、都と鄙との区別を立てる様な傾向の先駆をした。
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春の野に菫つみにと、来し我ぞ、野を懐しみ、一夜寝にける(万葉巻八)
あしびきの山桜花、日並《ケナラ》べてかく咲きたらば、いたも恋ひめやも(同)
吾が夫子《セコ》に見せむと思ひし梅の花。それとも見えず。雪の降れゝば(同)
明日よりは、春菜摘まむと標《シ》めし野に、昨日も 今日も 雪はふりつゝ(同)
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所謂ますら雄ぶり[#「ますら雄ぶり」に傍線]から遠ざかつたたをやめぶり[#「たをやめぶり」に傍線]を発生させたのは、この人である。邑落生活を忘れ、豪族は官吏としての意識を明らかに持つ様になつた奈良の中期には、もう都鄙・官民の別を示すだけの風習が生じた。従来の調子や表現を旧式の歌と考へ、素朴を馬鹿にし、宮廷を中心とする貴族生活の気分を十分に味はゝうとする享楽傾向が顕れて来た。赤人は其|先駆《サキ
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