の声かも(赤人――万葉巻六)
ぬばたまの夜の更けゆけば、楸《ヒサギ》生ふる清き河原に、千鳥|頻鳴《シバナ》く(同)
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写生の上々と評されてゐる歌である。山の際の木立を心に浮べて、鳥の声を聴き澄してゐるのだ。寝てゐるのである。目に山の際を仰いでゐる場合としても、又変つた味ひが生じる。鳥の声に心静かに聴き入つて居る。此歌の中には、深い暗示のこもつて居る様な気がする。見事、其霊を捉へた歌である。此歌も次の歌も、聴覚から自然の核心に迫らうとしてゐる。聴覚による新しい写生の方法を発見してゐる。ともすれば、値打ちの怪しまれる叙景詩も、こゝまで来れば、芸術としての立ち場は犯し難い。赤人は聴覚で自然を観ずるのが得意だつたか。
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朝凪ぎに楫の音聞ゆ。御饌《ミケ》つ国《クニ》 野島の海部《アマ》の船にしあるらし(万葉巻六)
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赤人の歌は人麻呂のに比べると、全体として内容的になつて、形式美をあまり重んじてゐない。人麻呂の様な、形式の張り過ぎた歌は少い。さうして、単純化する力は十分に持つて居た。同じ時代に居てやゝ年長と思はれる笠金村などが、
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