日のことが一々思ひ出される」と言ふので、沈潜といふより、事件の興味で優れてゐる歌だが、此も叙事に流れず、主題の新しく外的に展《ひろが》つて行つた道筋がよく見える。調子も、落ちついて、寂々と落葉を足に踏みながら過ぎる杖部の姿が、耳から目に感覚を移して来る。それが、すつぽりと、悲しい独りになつた自覚に沈んでゐる内界と、よく調和してゐる。
純抒情の歌は、やはり少し劣る様である。まだ抒情態度は完全に発生して居ない。人麻呂自身の糶《せ》り上げた抒情詩も、黒人だけの観照態度が据ゑられなかつたのも無理はない。黒人の方は寂しいけれども、朗らかである。しめやかであるけれど、さはやかな歌柄である。
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わぎも子に猪名野《ヰナヌ》は見せつ。名次《ナスキ》山 角《ツヌ》の松原 いつかしめさむ(黒人――万葉巻三)
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など、軽い心持ちで歌つてゐる中に、黒人のよい素質がみな出てゐる。妻を劬《いたは》る心持ちの、拘泥なく、しかも深い愛をこめて見える。宴歌として当座に消え失せなかつたのも、故のあることである。
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住吉《スミノエ》の榎津《エナツ》に立ちて、
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