してゐた様である。一・二句などは、誇張や、事実の興味に踏みこみ易い処を平気で述べてゐる。主観を没した様な表現で、而も底に湛へた抒情力が見られる。此が今の「写生」の本髄である。
第一首は、これに比べると調子づいては居るが、此はもつと強い感動だからである。併し、人麻呂の場合の様に、如何にも宴歌の様な、濶達な調子で、荘重に歌ひ上げる様な事はして居ない。人麻呂のには、悲しみよりは、地物の上に、慰安詞をかけてゐる様な処が見えるのは、滋賀の旧都の精霊の心をなだめると言ふ応用的の動機が窺はれる。よい方に属する歌であるが、調子と心境とそぐはない処がある。
黒人は静かに自身の悲しみや憧れる姿を見て居た人である。抒情詩人としてはうつてつけの素質である。数少い作物の内、叙景詩には、優れた写生力を見せ、抒情詩にはしめやかな感動を十分に表してゐる。さうした態度の意識は恐らくなかつたらうが、素質にさうした心境に入り易い純良で、沈静した処があつた為、創作態度を自覚した時代に入るに、第一要件だつた観照力が自ら備つて居たのであらう。
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何処《イヅク》にか 船泊てすらむ。安礼《アレ》[#(ノ)]崎 
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