・くろうと[#「くろうと」に傍点]から受けて来た歌の大方は、大抵は叙事脈に属する謡ひ物で、誇張の多い表現に過ぎないのである。
東歌の如きも、又誰にも素朴な物と言ふ予期を以て向はせる民謡(小唄)集でも、窮境に居て発した情熱と見えるのは、実は叙事詩の類型に入つた、性愛のやるせなさをまぎらはす為に、口ずさみ/\した劇的構造のまじつた空想歌に過ぎないものが多い。作者の歌を作つた境涯を歌から想像して見ると、其叫びの洩れるはずのない物が多い。其多く製作せられる場所は、歌垣の庭の頓才問答・誇張表現・性欲から来る詭計・あげあしとり[#「あげあしとり」に傍線]・底意以上のじやれあひ[#「じやれあひ」に傍点]などが、実感を超越して、一見激越した情熱にうたれる様な物を生み出させたのである。尤、さうした物の出来るのも、社会の底の生活力が、荒くて、強かつた時勢の現れと言ふ点だけに、尚古家の予期する万葉人の強い生命を認める事は出来る。たゞさうした成立に伴ふ表現法は、古代芸術に関した鑑賞法を、根柢から換へて見ねばならない事を思はせるのである。
     九
人麻呂の作物に静かで細かい心境のみが見えるのは、人麻呂 
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