けても見出されない。
柿本人麻呂の作と伝へる歌には、宮廷詩人(大歌作り)として職業意識から、さうしてまだ個性を表現するまでに到らなかつた時代の是非なさ、類型に堕ちた代作物がうん[#「うん」に傍線]とある。だから、普遍的の低級な熟せない創作動機から出来た其等の作物を以て、人麻呂の芸術を論ずるめど[#「めど」に傍点]としてはならぬ。又、其から人麻呂の伝らぬ伝記の資料をとり出すには、大変な注意がいる。人麻呂の作とせられて居ないもので、人麻呂に代作を依頼した人、又は其を謡うた人々の作物の様に思ひ做されて来り、前書きも其人々の作として出されたものも沢山ある。
人麻呂が天武持統の皇子たちの舍人であつた証拠として挙げられてゐる三四種の歌などは、実は舍人等の合唱すべき挽歌として、人麻呂が自身の内にない空想から作り上げたものである。従つて実感の出ようはずはない。芸術意識を持ち始めてから、久しい年月を経た後世の社会なら、天才の直観力で、他人の体験に迫つて行く事も出来よう。が、まだ芸術意識の尠しもない応用的な言語の羅列から、自身の意力で、半ば芸術に歩みよせた程の人麻呂であつた。様式の美――ある条件をつけての
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