には、既に意識に上つて来て居た。さうして抒情詩が、容易にかけあひ[#「かけあひ」に傍線]・頓才・感情誇張・劇的刺戟を去る事の出来ないで居る間に、人麻呂の大才を以てしても、純恋愛詩・抒情詩の本格を握ることの出来なかつた間に、既にまづ高市黒人の観照態度を具備した叙景詩が生れた。さうして、直に続いて、山部赤人が現れて、叙景詩の本式なものを示して居る。
柿本人麻呂も既に、次の時代の暗示者たる才能の上から、意識はしなかつたらうけれども、宴歌又は旅の歌に、叙景の真髄を把握したものを作つて居た。唯意識の有無を文学の価値判断に置く時は、人麻呂はまだ渾沌時代にあつて、大きな価値をつける訣には行かない。
唯言ふべきは、離宮行幸が、全く支那の宮廷生活を模した宴遊であつた事だ。持統天皇の如きは、如何に半日もかゝらない道のりとは言へ、吉野の宮へは、日本紀に載せたゞけでも、驚く程しつきりなく出かけられた。そして、都からやつと半みちの飛鳥の神丘へ行かれた時も、人麻呂は帝王を頌する支那文学模倣とも言へば言はれさうな歌を、こと/″\しく作つてゐる。
宴遊の中、日がへりの旅にも、行つた先で宴歌を作るのは、其行事が外国の写
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