あるじの健康をほぐ[#「ほぐ」に傍線]が、同時に建て物のほぎ言[#「ほぎ言」に傍線]ともなるのである。かうした不思議な発想法から、象徴式の表現法も生れ、隠喩も発生した。勿論直喩法も発達した。併し、概して言へば直喩法は、後飛鳥期にもあつたが、藤原期の柿本人麻呂の力が、主としてはたらいて、完成した様である。
隠喩及び象徴法は、寿詞の数主並叙法から発生したと言うてよいが、尚他にも誘因があるとすれば、前の出まかせの叙述法が其である。此並叙法を寿詞が採る様になつた根本理由は、今は述べない。日本文学の発生を論ずる文章で、近く発表する心ぐみである。
顕宗天皇の伝説で見ても、室寿詞が一面享楽的な文章を派生してゐる様子が見える。神に扮した人が、神の資格に於て、自らも然う信じて新室に臨んだ風が、段々忘れられて、飛鳥朝の大和辺では、其家よりも高い階級と見られる人が賓客《マレビト》として迎へられ、舞人の舞を見、謡を聞く事は勿論、舞人なる処女を一夜の妻に所望して、その家に泊つた事は、允恭紀に見える事実である。新室のほかひ[#「ほかひ」に傍線](ほぎ――祝福)が、段々「宴《ウタゲ》」と言ふ習俗を分化した元となつた
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