居る中に、段々纏つて行つたものである。
此は一つには、時代として即興的にかけあひ文句[#「かけあひ文句」に傍線]を番《つが》へ争ふ歌垣などがあつて、さうした習練が積まれた事も、かうした発想法の自由さを助ける様になつて居たのである。併し此おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の歌の様なのは、口頭の修正の重り加つたものと思はれる程、表現の的確な物である。山門《ヤマト》の薄一本にかゝる朝雨を捉へて居る処も、客観描写の進んだ時代の物とすれば、不思議はない。修辞法の効果なども印象的に来るのは、「粟原の韮《カミラ》」や「垣下の薑《ハジカミ》」などの印象の淡い空虚な序歌となつて居るのと比べれば、そこに時代の進んで居ることが見える。神武記の物よりおほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の情詩の方が、新しい事は推せられる。更に時代の降つた応神紀の歌が、発想法から見れば、又却つて古い時代の物だと言ふ事を見せて居るのは、をかしい。
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いざ吾君《アギ》。野《ヌ》に蒜《ヒル》つみに 蒜つみに 我が行く道に、香ぐはし花橘。下枝《シヅエ》らは人みな取り、秀枝《ホツエ》は鳥|棲《ヰ》枯し みつ
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