りも、詩なり賦なりの韻律を持ち、形式の束縛さへ甘受すれば、ともかくも形だけは整へる事の出来る文体に赴くのが、初学者の択ぶ普通の道でもあり、又社会から見ても、律文にはある自在を持つて居たのである。だから懐風藻類似の文集が幾つ出て来ても、多くは詩賦を以て埋められて居ることだらう。拠り処のない漢語の散文は、帰化人の子孫でもなければ、思ふ様に意思を表す事すら、むつかしかつたらうと考へる。
けれども読む方と知得する事には相当な発達をしてゐた事と思はれる。手に入れ易い書物の影響は勿論、後世伝はらない文学書の感化さへ見えて居て、それが万葉集にも現れて居るのである。私は人麻呂が支那の詩の影響を受けて、対句・畳句其他の修辞法を応用したといふ様な考へは、もう旧説として棄てゝもよいと思うて居る。社会の持つ響きを感じて、それから来る漢文学的影響位は出したかも知れぬが、漢学の素養があつて、あの詩形が出来たなど言ふのは、古代からの歌謡の発生の道筋に晦《くら》い人である。文学が宗教意識に随伴して生れるため、変態心理を寓した形式の上の相似形を、支那特殊の発生と信じて居る様な考へ方は、今では何の権威もなくなつて居る。人麻呂には見られぬ影響も、官吏の日本の詞曲を喜ぶものには、ある俤を其作つた歌の上に寓したことは、疑はれないと思ふ。
七
支那の宮廷文学に著しいのは、荘重を尊ぶ傾向と、ともすれば淫靡に堕せむとする享楽態度とである。民間の説話なる小説には、唐以前に淫楽と華美とが現れ過ぎる程に見えてゐるが、宮廷や貴族の文学の公表する意図を以つて書いたものにすら、其が見える。性と恋愛との方面は、日本の奈良朝盛時の抒情詩に絡んで来るのであるから、今は言はぬ。
我が国のうたげ[#「うたげ」に傍線]と似て、宴遊を頌し、宮殿・園林を讃する何層倍も大じかけである方面は、有識の官吏に響いた。風俗を模する以外に、文学の側にも、多少の投影が意識無意識に拘らず、覊旅のうたげ[#「うたげ」に傍線]や、離宮や、遠国への行幸の際の宴席の即興歌の上に現れずには居なかつた。
日本人固有の表現法からして、外界を描写する態度の、そろ/\発生して来たものが、宴歌殊に旅の新室の宴席の当座詠によつて、愈《いよいよ》正式な叙景の姿をとりはじめたところへ、多少支那の宮廷文学の匂ひが、此にかゝつて来た。其為、叙景詩は藤原[#(ノ)]都の時代には、既に意識に上つて来て居た。さうして抒情詩が、容易にかけあひ[#「かけあひ」に傍線]・頓才・感情誇張・劇的刺戟を去る事の出来ないで居る間に、人麻呂の大才を以てしても、純恋愛詩・抒情詩の本格を握ることの出来なかつた間に、既にまづ高市黒人の観照態度を具備した叙景詩が生れた。さうして、直に続いて、山部赤人が現れて、叙景詩の本式なものを示して居る。
柿本人麻呂も既に、次の時代の暗示者たる才能の上から、意識はしなかつたらうけれども、宴歌又は旅の歌に、叙景の真髄を把握したものを作つて居た。唯意識の有無を文学の価値判断に置く時は、人麻呂はまだ渾沌時代にあつて、大きな価値をつける訣には行かない。
唯言ふべきは、離宮行幸が、全く支那の宮廷生活を模した宴遊であつた事だ。持統天皇の如きは、如何に半日もかゝらない道のりとは言へ、吉野の宮へは、日本紀に載せたゞけでも、驚く程しつきりなく出かけられた。そして、都からやつと半みちの飛鳥の神丘へ行かれた時も、人麻呂は帝王を頌する支那文学模倣とも言へば言はれさうな歌を、こと/″\しく作つてゐる。
宴遊の中、日がへりの旅にも、行つた先で宴歌を作るのは、其行事が外国の写しだけに、歌詞も支那を学んで、小屋をさへ造らぬにかゝはらず、宴歌がやはり歌はれる事になつたのだ。つまり、日本の遠来神を迎へた式が賓客歓待の風に変つても、古義だけは残つて居たのを、すつかり変へて、新しい宴会の様式がはじめられた事になる。此が日本のうたげ[#「うたげ」に傍線]の中途の暫らくの気まぐれな変化で、後には又元の方法に近く戻つて来た様である。でも其間にやはり、古い意義を存して、天子外出の時の方法としての警蹕・反閇《ヘンバイ》の形を、少しく大きくして、新室ほかひ[#「新室ほかひ」に傍線]のない宴遊をしたものと考へられぬでもない。
八
日本に於て、最危い支那化の熱の昂まつてゐたのは、飛鳥時代の前後を通じての事で、殊に末に行く程激しさを加へた。中途に調和者の姿をとられた天武天皇も、実はやはり時代病から超越出来なかつた。唯其が内面に向うて行つた為に、反動運動者には歓ばれ、世間の文化も実際に高まつて来た。だから、此天子の世の文化施設の細やかな所まで、手の届いて居る事も、基く所を思はせて、有効でありさうな事に、着実な方針が秩序立つて現れて居る。
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