ぐりの 中つ枝の 含隠《フゴモ》り 赤《アカ》れる処女《ヲトメ》。いざ。さかはえな(応神天皇――日本紀)
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此などは全く、案を立てたものでない事が明らかだ。「いざあぎ」は語頭の囃し語で「いざ人々よ、謡ひはじむるぞ。聴け」と言ふ程の想を持つたのが固定して、あちこちの謡につくのである。
野で逢うた処女に言ひかけた歌であらう。――酒宴の節、髪長媛をおほさゞきの命[#「おほさゞきの命」に傍線]に与へようとの意を、ほのめかされたのだとする記・紀の伝来説明は、歌にあはない。此は、さうした事実に、此歌の成立を思ひよそへた大歌《オホウタ》(宮廷詩)についてゐた説明なのであらう。
野に見た処女の羞らうて家も名もあかさぬのに言ひかける文句をまづ、蒜《ヒル》つみから起して、一本立つ花の咲いた橘の木に目を移し順々に枝の様を述べ、恐らく其枝々の様子を、沢山の少女はあるがどれもこれも処女ではないのを不満に思ふ心に絡まし、直に主題に入りかねて、対句を利用した後、稍《やや》考への中心は出来て来たが、やはり躊躇しながら、中つ枝の様子を述べてゐる。此が却つて、外的には注意を集めるだけの重々しさを出して居る。中つ枝の伸びない、芽吹きの若さに心がついて、思ふ処女の人を恥ぢる、まだ男せぬ女らしい艶々しい頬の色を讃美する点に達したものだ。但、此歌は、まだ続きの文句か、第二首目かゞあつたのが、脱落した儘で伝つたものと思はれる。
此に答へたおほさゞき[#「おほさゞき」に傍線]の歌も、必しも赤れる処女を貰うた礼心の表されたものとは云はれぬ。
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水たまる 依網《ヨサミ》の池に 蓴《ヌナハ》くり 延《ハ》へけく知らに 堰杭《ヰグヒ》つく川俣《カハマタ》の江の 菱殻《ヒシガラ》の刺しけく知らに、我が心し いや愚癡《ヲコ》にして(大鷦鷯命――日本紀)
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歌から見ると、危険が待ちかまへて居たのも知らないで、ひどい目に遭うた自分の愚かさを、自嘲する様な発想と気分とを持つてゐる。依網《ヨサミ》の地の池から、池にある物に結びつけて、色々なものゝ水の下にあつたものも知らずに居た。さうして、刺のある水草にさゝつたと言ふのである。此歌も何だか、ある部分の脱落を思はせる姿である。
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石上《イスノカミ》 布留を過ぎて、薦枕《コモマクラ》 高橋過ぎ、物さはに 大宅《オホヤケ》過ぎ、春日《ハルヒ》の 春日《カスガ》を過ぎ、つまごもる 小佐保《ヲサホ》を過ぎ、
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平群《ヘグリ》[#(ノ)]鮪《シビ》の愛人かげ媛[#「かげ媛」に傍線]が、鮪の伐たれたのを悲しんで作つた歌の大部分をなして居るこれだけの文章は、主題に入らないで、経過した道筋を述べたてゝゐるだけである。さうしてやつと眼目の考へが熟して来て、
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たま[#「たま」に「(つゞき)」の注記]笥《ケ》には飯さへ盛り、たま※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]《モヒ》に水さへ盛り、
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と対句でぐづ/″\して後、
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哭きそぼち行くも。かげ媛 あはれ(かげ媛――日本紀)
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と、極めて簡単な解決に落着してゐる。この中の「かげ媛あはれ」は、囃し語として這入つたもので、元来の文句は「哭きそぼち行くも」で終つて居るのである。これも実際は、かげ媛[#「かげ媛」に傍線]の自作ではなくて、平群氏に関聯した叙事詩の中の断篇か、或は他の人の唯の葬式の歌かゞ、かうした伝説を伴ふやうになつたのであらう。ともかくも、口に任せて述べて行く歌の極端な一例である。似た例がいはの媛[#「いはの媛」に傍線]にもある。
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つぎねふや 山城川を 宮のぼり 我が溯れば、あをによし 奈良を過ぎ、をだて 倭邑《ヤマト》を過ぎ、我が見が欲《ホ》し国は、葛城《カツラギ》 高宮 我家《ワギヘ》のあたり(いはの媛――記)
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前と違ふ点は、叙事に終止しないで、抒情に落してゐる所だけである。おなじ時に出来たと言ふ今一首は、道行きぶりの中に、稍複雑味が加つて居る。
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つぎねふや 山城川を 川溯り 我がのぼれば、川の辺に生ひ立てる烏草樹《サシブ》を。烏草樹《サシブ》の樹 其《シ》が下《シタ》に生ひ立てる葉広五|百《ユ》つ真椿《マツバキ》。其《シ》が花の 照りいまし 其《シ》が葉の 張《ヒロ》りいますは 大君ろかも(同)
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此歌は、日本紀の方の伝へは、断篇である。此古事記の方で見ると、道行きぶりから転化して物尽しに入つて居る。道行きぶりも畢竟は地名を並べる物尽しに過ぎない。併し既に言うたとほり尚、神群行の神歌
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