単純な姿にして見せるか、どうかもそれは訣《わか》らぬのである。
日本人総体の精神分析の一部に当ることをする様な事になるかも知れぬ。だが決して、私自身の精神を、分析しようなどとは思うても居ぬし、又そんな演繹式《えんえきしき》な結果なら、して見ぬ先から訣っているような気もするのだから、一向して見るだけの気のりもせなんだのである。
私の物語なども、謂《い》わば、一つの山越しの弥陀《みだ》をめぐる小説、といってもよい作物なのである。私にはどうも、気の多い癖に、又一つ事に執する癖がありすぎるようである。だが、そう言うてはうそ[#「うそ」に傍点]になる。何事にも飽き易く、物事を遂げたことのない人間なのだけれど、要するに努力感なしに何時までも、ずるずるべったりに、くっついて離れぬという、ふみきりがわるいと言おうか、未練不覚の人間といおうか、ともかく時には、驚くばかり一つ事に、かかわっている。旅行なども、これでわりにする方の部に入るらしいが、一つ地方にばかり行く癖があって、今までに費した日数と、入費をかければ、凡《およそ》日本の奥在家・島陰の村々までも、あらかたは歩いている筈である。それ[#「それ」に
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