《い》えぬか知らん。この山の端と、金色の三尊の後に当る空と、漣《さざなみ》とを想像せしめる背景は、実はそうではなかった。
禅林寺のは、製作動機から見れば、稍《やや》後出を思わせる発展がある。併し画風から見て、金戒光明寺のよりも、幾分古いものと、凡《およそ》判断せられて居る。さすれば両者とも、各今少し先出の画像があり、其型の上に出て来たものなることが想像出来る。此方は、金戒光明寺の図様が固定する一方、その以前に既に変化を生じて居たものの分出と見ることが出来る。但中尊の相好は、金戒光明寺のよりも、粗朴であり、而も線の柔軟はあるが、脇士《わきじ》・梵天《ぼんてん》・帝釈《たいしゃく》・四天王等の配置が浄土|曼陀羅《まんだら》風といえば謂えるが、後代風の感じを湛《たた》えている。其を除けると、中尊の態様、殊に山の端に出た、胸臆のずっしりした重さは如何にも感覚を通して受けた、弥陀《みだ》らしさが十分に出ていて、金戒光明寺の作りつけた様なのとは違う。其に山の姿もよい。若し脇士を仮りに消して想像すれば、更に美しい山容である。此山、此山肌の感触はどうも、写実精神の出た山である。
これで見ると、山の端に
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