、今も尚若干の人々は、淡路の島は愚か、海の波すら見えぬ、煤《すす》ふる西の宮に向って、くるめき入る日を見送りに出る。此種の日想観なら、「弱法師《よろぼうし》」の上にも見えていた。舞台を何とも謂えぬ情趣に整えていると共に、梅の花咲き散る頃の優なる季節感が靡《なび》きかかっている。
しかも尚、四天王寺には、古くは、日想観往生と謂われる風習があって、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行ったのであった。熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海《ふだらくとかい》と言うた。観音の浄土に往生する意味であって、※[#「水/(水+水)」、第3水準1−86−86]々《びょうびょう》たる海波を漕《こ》ぎきって到り著《つ》く、と信じていたのがあわれである。一族と別れて、南海に身を潜めた平|維盛《これもり》が最期も、此渡海の道であったという。
日想観もやはり、其と同じ、必極楽東門に達するものと信じて、謂わば法悦からした入水死《じゅすいし》である。そこまで信仰においつめられたと言うよりも寧《むしろ》、自ら霊《たま》のよるべをつきとめて、そこに立ち到ったのだと言う外はない。そう言うことが出来るほど、彼
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