だ。こんな事をわざ/\書いておくのは、此後に出て来る数[#(个)]条の潜在するものゝはたらきと、自分自身混乱せぬやう、自分に言ひ聞かせるやうな気持ちでする訣である。
称讃浄土仏|摂受経《セフジユギヤウ》を、姫が読んで居たとしたのは、後に出て来る当麻曼陀羅の説明に役立てようと言ふ考へなどはちつともなかつた。唯、この時代によく読誦せられ、写経せられた簡易な経文であつたと言ふのと、一つは有名な遺物があるからである。ところが、此経は、奈良朝だけのことではなかつた。平安の京になつても、慧心僧都の根本信念は、此経から来てゐると思はれるのである。たゞ、伝説だけの話では、なかつたのである。
此聖生れは、大和葛上郡――北葛城郡――当麻村といふが、委しくは首邑当麻を離るゝこと、東北二里弱の狐井・五位堂のあたりであつたらしい。ともかくも、日夕二上山の姿を仰ぐ程、頃合ひな距離の土地で、成人したのは事実であつた。
こゝに予め言うておきたいことがある。表題は如何ともあれ、私は別に、山越しの弥陀の図の成立史を考へようとするつもりでもなければ、また私の書き物に出て来る「死者」の俤が、藤原南家郎女の目に、阿弥陀仏とも言ふべき端厳微妙な姿と現じたと言ふ空想の拠り所を、聖衆来迎図に出たものだ、と言はうとするのでもない。そんなもの/\しい企ては、最初から、しても居ぬ。たゞ山越しの弥陀像や、彼岸中日の日想観の風習が、日本固有のものとして、深く仏者の懐に採り入れられて来たことが、ちつとでも訣つて貰へれば、と考へてゐた。
四天王寺西門は、昔から謂はれてゐる、極楽東門に向つてゐるところで、彼岸の夕、西の方海遠く入る日を拝む人の群集《クンジユ》したこと、凡七百年ほどの歴史を経て、今も尚若干の人々は、淡路の島は愚か、海の波すら見えぬ、煤ふる西の宮に向つて、くるめき入る日を見送りに出る。此種の日想観なら、「弱法師」の上にも見えてゐた。舞台を何とも謂へぬ情趣に整へてゐると共に、梅の花咲き散る頃の優《イウ》なる季節感が靡きかゝつてゐる。
しかも尚、四天王寺には、古くは、日想観往生と謂はれる風習があつて、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行つたのであつた。熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海と言うた。観音の浄土に往生する意味であつて、※[#「水/(水+水)」、第3水準1−86−86]々たる海波を漕ぎゝつて到り著く、と信じてゐたのがあはれである。一族と別れて、南海に身を潜めた平維盛が最期も、此渡海の道であつたといふ。
日想観もやはり、其と同じ、必極楽東門に達するものと信じて、謂はゞ法悦からした入水死《ジユスヰシ》である。そこまで信仰におひつめられたと言ふよりも寧、自ら霊《タマ》のよるべをつきとめて、そこに立ち到つたのだと言ふ外はない。
さう言ふことが出来るほど、彼岸の中日は、まるで何かを思ひつめ、何かに誘《オビ》かれたやうになつて、大空の日《ヒ》を追うて歩いた人たちがあつたものである。
昔と言ふばかりで、何時と時をさすことは出来ぬが、何か、春と秋との真中頃に、日祀《ヒマツ》りをする風習が行はれてゐて、日の出から日の入りまで、日を迎へ、日を送り、又日かげと共に歩み、日かげと共に憩ふ信仰があつたことだけは、確かでもあり又事実でもあつた。さうして其なごりが、今も消えきらずにゐる。日迎へ日送りと言ふのは、多く彼岸の中日、朝は東へ、夕方は西へ向いて行く。今も播州に行はれてゐる風が、その一つである。而も其間に朝昼夕と三度まで、米を供へて日を拝むとある。(柳田先生、歳時習俗語彙)又おなじ語彙に、丹波中郡で社日参りといふのは、此日早天に東方に当る宮や、寺又は、地蔵尊などに参つて、日の出を迎へ、其から順に南を廻つて西の方へ行き、日の入りを送つて後、還つて来る。これを日《ヒ》の伴《トモ》と謂つてゐる。宮津辺では、日天様《ニツテンサマ》の御伴《オトモ》と称して、以前は同様の行事があつたが、其は、彼岸の中日にすることになつてゐた。紀伊の那智郡では唯おともと謂ふ……。かうある。
何の訣とも知らず、社日や、彼岸には、女がかう言ふ行《ギヤウ》の様なことをした、又現に、してもゐるのである。年の寄つた婆さまたちが主となつて、稀に若い女たちがまじるやうになつたのは、単に旧習を守る人のみがするだけになつたと言ふことで、昔は若い女たちが却て、中心だつたのだらうと思はれる。現にこの風習と、一緒にしてしまつて居る地方の多い「山ごもり」「野遊び」の為来りは、大抵娘盛り・女盛りの人々が、中心になつてゐるのである。順礼等と言つて、幾村里かけて巡拝して歩くことを春の行事とした、北九州の為来りも、やはり嫁入り前の娘のすることであつた。鳥居を幾つ綴つて来るとか言つて、菜の花桃の花のちら/\する野山を廻つた、風情ある女の年中行
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