岳や、朝日岳の山襞がはつきり見えて来た。目の前の爪先上りが、一気に小半道も続いて居て、硫黄精煉所まで行つてゐる。さう言へば今も、二人連れの若い男が「お晩でございます」と声をかけて登つて行つた。其がもう、あんな高い処でほの暗くちらついて居る。
私は、月の光りの照つて居る石高道を歩いた。十四五の頃、初旅に出て以来、ひとりこんな晩に歩いた事が、幾度あつたか知れない。近年は旅をしても、多くは道連れが誰かある。
芭蕉などでも、治郎兵衛を伴にしたり、曾良を連れたりして、ひとり旅の味は、わりに身に沁みなかつたらう。こんな事を考へたこともあるが、思ふとさうばかりも言へない。気持ちの遠い人と歩いて居ると、心は何となくうはついて[#「うはついて」に傍点]居るものだが、自分の身に近い者が一処だと、二つの心が一つ事を感じてゐると言ふのか、自分の心が連れの心に乗りかゝつて了ふと言ふのか、しんみりした気持ちを持ち合つて行くものである。旅の心が伴ふ危険や煩ひをすつかり、同行者が負担してくれるだけでも、尖つた寂しさではなく、何かかう、円かな寂けさと謂つたものが、心に漂うて居ることが多い。
けれども、芭蕉のやうなえらい
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