山家に起る筈がなかつたのである。
日本の国のまだ出来ぬ村々の君々の時代から、歴史物語は、神だけに語る資格が考へられてゐた。神が現れて、自身には人の口を託《カ》りて語り出す叙事詩《モノガタリ》は、必その村その国の歴史と信じられて来た。国々の語部《カタリベ》の昔から、国邑の神人の淪落して、祝言職《ホカヒ》となり、陰陽師《オンミヤウジ》の配下となつて、唱門師《シヨモジン》・千秋万歳《センズマンザイ》・猿楽の類になり降つても、其筋がゝつた物語は、神の口移しの歴史で、今語られてゐる土地の歴史と言ふ考へ方は、忘れられきつては居なかつた。盲僧や盲女《ゴゼ》の、神寄せの後に語り出す問はず語り[#「問はず語り」に傍点]の文句も、さうした心持ちから受け入れられたのである。京・鎌倉の公家・武家の物語も、結局は、山在所の由来として聴かれたのも道理である。だから此|入訣《イリワケ》も呑み込まないで、むやみと奥在所の由緒書きを、故意から出た山人のほら話と、きめてかゝつてはならないのである。
二 常世神迎へ
こんな話は、山家ばかりで言ふ事ではなかつた。京一|巡《ジユン》、「梯子や打ち盤」触り売つて戻つても、まだ冬の薄日の残つて居る郊外の村に居ながら、「昔は源氏の武士の目をよけて」と隠れ住んだ貴人の、膚濃やかに、力業に堪へなんだ俤を説く、歯つ欠け婆ばかりの出て来る在所さへある。だから、非御家人としての冷遇に居たゝまらずなつた前からあつた、若い御子と其|後見衆《オトナシユ》を始めとする系図は、実は、日本一円の古い村々に、持ち伝へられた所の草分けの歴史であつたと言へる。
若く弱《アエ》かな神が、遥かな神の都からさすらうて村に来た。其を斎うたのが村の賓客の初めで、旅にやつれた御子をいたはつたのが、元は村の神主で、村の親方の家の先祖と説く神話が、前の様な歴史を語らぬ、一方の村々に行はれてゐる。恐らく今三四百年も以前には、此を語らぬ村とては、禁裡・幕府のお蔭も知らぬ山家・海隈に到るまで、六十余州の中にはなかつたであらう。
此は日本国の元祖の村々が、海岸に篷屋《トマ》を連ねた大昔からあつた神の故事である。幼い神が海のかなたの常世の国から、うつかり紛れて、此土に漂ひ寄る。此を拾ひあげた人の娘が育《ハグク》みあげて、成人させて後、其嫁となつて生んだのが、村の元祖で、若い神には御子であり、常世の母神《
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