為に、乏しい村人の喰ひ分を裾分けられた家畜が、斗鶏《トケイ》や寝ずの番以外に、山の生活を刺戟して居た。
私は、遠州奥山の京丸を訪れた時の気分を思ひ出して見た。村から半道も、木馬路《キンマミチ》を上つて、一つ家に訪ねた故老などの、外出《ヨソデ》還りを待つ間の渋茶が促した、心のやすらひから。京丸なども、もう実は、わざ/\見物に行く値打はない程開けて居た。
駿・遠の二州の源遠い大河の末の、駅路と交叉したあたりには、ほんとうは大昔から山の不思議が語られて居た。武家の世渡りに落伍した非御家人《ヒゴケニン》の、平野を控へた館の生活を捨てゝからの行動が、其とてつもなく[#「とてつもなく」に傍点]古い伝説の実証に、挙げられる様になつて行つた。
飛騨・肥後・阿波其他早耳の琵琶坊《ボサマ》も、足まめな万歳も、聴き知らぬ遠山陰の親方・子方の村が、峯谷隔てた里村の物資に憧れ出す時が来た。其は、地方の領家《リヤウケ》の勢力下から逃げこんだ家の由緒を、完全に忘れ果てゝからであつた。其|昔《カミ》から持ち伝へた口立ての系図には、利仁・良文や所縁《ツガ》もない御子《ミコ》様などを、元祖と立てゝゐた。其上、平家・盛衰記を端山の村まで弾きに来る琵琶房主があつた。時には、さうした座頭の房《ボン》を、手舁き足舁き連れこんで、隠れ里に撥音を響かせて貰うたりもした。山彦も木精《コダマ》もあきれて、唯、耳を澄してゐる。さうした山の幾夜が偲ばれる。日が過ぎて、山の土産をうんと背負はされた房様《ボサマ》が、奥山からはふり出された様な姿で山口の村へ転げ込んで、口は動かず、目は蠣の様に見つめたきりになつて居たりする。山人の好奇《モノメデ》に拐された座頭が、いつか、山の岩屋の隠れ里から、隠れ座頭がやつて来る、など言ふ話を生んだのであらう。
さうした出来心から降つて湧いた歴史知識が、村の伝へに元祖と言ふ御子様や、何|大将軍《ダイシヤウグン》とかもすれば、何天子や某の宮、其おつきの都の御大身であつたかと、村の系図の通称や官名ばかりの人々のほんとうの名が知れて、山の歴史はまともに明りを受けた。焼畑《コバ》や岩地《ソネ》うつたつきも、張り合ひがついて来る。盲僧の軍記語りの筋は、山にも里にも縁のなくなつたずつとの昔の、とつと[#「とつと」に傍点]の遠国《ヲンゴク》の事実と聞きとる習慣があつたのなら、かうした事は日本国中の山家と言ふ
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