六 執念の鬼灯《ホヽヅキ》
「五大力恋緘《ゴダイリキコヒノフウジメ》」に哀れな物語りを伝へた、曾根崎新地の菊野の殺された茶屋は、今年五十六になる私の母が、子供の頃までは残つて居たさうだ。芝居で見て知るよりも以前から、既に、私等は此話を聞いてゐた。其は曾祖母から口移しの話で、菊野が鬼灯を含んで鳴して居る処へ、源五兵衛(仮名)が来て、斬り殺したと云ふ事で、其執念が残つて、其茶屋の縁《エン》の下には、今でも鬼灯が生えるといふ物語りを、母が其まゝ、私等に聞かせた。子供の時分は、北の新地へさへ行けば、何時でも、菊野のかたみの鬼灯が見られるものと信じて居た。
       七 六部殺し
熊野|八鬼《ヤキ》山の順礼殺しのからくり唄[#「からくり唄」に傍線]に、云ひ知らぬ恐怖を唆《ソヽ》られた心には、この大阪以外には、こんな鬼の住み処も有ることか、と思うてゐたのに、其大阪もとつと[#「とつと」に傍点]のまん中、島の内にも有つたのだとは、此頃始めて、教へ子梶喜一君から聞き知つた。而も、其家の名まで明らかに知れてゐるのは、何だか田園都市の匂ひを感ぜずには居られぬ。
南区三丁目の沖田といふ家は、今はすべて死に絶えて、唯一人残つた老婆が、天王寺辺で寂しく御迎へを待つてゐるといふ。御一新騒ぎの当時、此家へ一夜の宿りを求めた六部があつた。処が、其翌日、彼が立つて行く影も形も見た者が無いのに、其姿は其儘消えて了うた。其後、何処から得た資本ともなく、たんまり[#「たんまり」に傍点]とした金が這入つた模様で、色々の事に手を出し、とん/\拍子で指折りの金持ちになつたが、どうも不思議だ、といふ取沙汰《トリサタ》の最中に、主人が死に、息子が死にして、殆ど枝も幹も残らぬ様に、亡びて了うた。長堀から鰻谷《ウナギダニ》へかけて、沖田の六部殺しと言うて、因果の恐しさを目前に見た様に噂した事であつた。
       八 日向の炭焼き
難波《ナンバ》の土橋《ドバシ》(今の叶橋《カナフバシ》)の西詰に、ヽヽといふ畳屋があつた。此家は古くから、日向に取引先があつたと見えて、土橋の下には、度々日向の炭船が著いてゐたさうである。其炭船が日向へ帰つた後では、きつと行方知れずになる子供が尠からずあつたといふ。此は、畳屋が子供を盗んで、日向へ炭焼きに遣るのだ、といふ評判であつた。其で、私等の子供の頃にも、どうかした折には、土橋の畳屋へ遣ると嚇されたものである。
       九 しゃかどん
大阪府三島郡|佐位寺《サヰデラ》に「つの」とも「かど」とも訓む字と、其第三の訓《クン》とを用ゐて、家の名とした一家がある。其一門は、男女と言はず、一様に青黒い濁りを帯びた皮膚の色をしてゐるので、古くから釈迦どん[#「釈迦どん」に傍線]と言うてゐる。唯の黒さでなく、異様な煤け方である。其家の持ち地であつて、今は他家の物となつたと言ふ、村の山地には、釈迦个池と言ふ池がある。
       一〇 夙村
河内の夙村では、村をとりまく濠やうの池のある事は、郷土研究にも見えた。但、其池はすべて、への字なりになつて居るといふ。
       一一 ゆんべ
昨晩と言ふ語をば冒頭に据ゑた唄を、二つ報告する。但、二つとも末を忘れた。可なりな老人に聞いても知らぬ。要点は頭の方にある様だから書く。
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ゆんべ生れたくまちやんは、じより/\[#「じより/\」に傍線](月代)剃つて、髪結うて、そろばん橋を渡ろとて、蟹にちんぽ(きんたま)をはそまれて、あいたい、こいたい。権兵衛《ゴンベ》さん。此身を助けてくださんせ。……
ゆんべ吹いた風は大津へ聞えて、大津はおんま(御馬か)つちのこ[#「つちのこ」に傍線]は槍持ち、能《ヨ》う槍持つて。……
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前のは、川村氏の「さいごたかもり、はじめて東へ下るとて、蟹にきんたま挟まれて(郷土研究四の七)」に似て居り、後のは、南方氏の田辺へ聞えた、又は西の宮へ聞えたの唄(同一の二)と同じ趣きである。
       一二 うしはきば
此は、美濃路から東方に亘つてゐると思はれる、馬捨て場と同じ意味の場処である。多くは池の堤や、村から入りこんだ小川の岸などで、大抵人の行かぬ場所にあつた。わりあひに神聖な処と考へられてゐる様である。死んだ牛の皮を剥ぐ場処の意で、はき[#「はき」に傍線]を清音に言ふ。河内辺に多い地名である。牛を剥ぎにはえたが来て、皮・肉などは貰うて帰るのださうである。馬を使ふ農家はないから、一村の為事に、馬といふ考へは這入つてゐないのである。
       一三 名字
木津・難波には、本《モト》と言ふ字のつく姓がある。樽屋が樽本、下駄屋が桐本、材木屋が木元など、皆、其商品を此が資本だ、と言ふ積りで拵へたのである。此は木津に多い。
妙玄・法覚・法西・覚道
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