ある。それ故、此は御言持ちでは無く、自分の感情に、飜訳して云ふのである。だから鎮詞は、祝詞の言葉の命令的なるに対し、妥協的である。其で鎮詞は、大抵の場合は、土地の精霊が、自由に動かぬやうに、居るべき処に落ちつける言葉になつてゐる。即いはひ[#「いはひ」に傍点]込めてしまふ詞である。此は、祝詞の意志を、中間に立つ者が、飜訳して云ふのであつて、多くの場合は、被征服者の中の、代表者が云ふ言葉である。これを司つたのが、山の神で、山の神は、土地の精霊の代表者であつた。
祝詞には、以上説明したやうな、三種類の区別があるが、此を延喜式の祝詞に当て篏めて見ると、どれも此も、厳重に、此区別には合はない。殊に、出雲国造|神賀詞《カムヨゴト》と、中臣寿詞とは、寿詞と云ひながら、頻りに、自分から鎮詞を述べてゐる。此頃既に、寿詞と鎮詞とが、ごちや/\に考へられてゐた事が訣る。
国々の神が、位を貰ふといふ不思議を、仏教では、王は十善・神は九善などゝ説明してゐるが、此は、当然なことであつた。天皇は天津神の子孫であつて、同時に、祝詞を唱へる時だけは、その天津神であつた。故に、天皇は神であると共に、人間であつた。天皇の
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