ふ万葉の用語に関した解釈を書いてゐた。万葉に「月読《ツキヨミ》の持《モ》たる変若水《ヲチミヅ》」と言ふ語がある。此月読神は恐らく山城綴城郡の月神で、帰化漢人の祀つたものゝ事であらうと言ふ推定から、此変若水の思想は、其等帰化人の将来した信仰が拡つたものであらうと言ふ仮説を立てゝゐた。ちようど神仙説の盛んに行はれ、仙術修行に執心する者の多かつた時代の事だから、と言ふので、不老不死泉の変形だらうと感じたことを書いた。ところが、ねふすきい[#「ねふすきい」に傍線]さんはかう言うた。
宮古方言しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]――日本式に言ふと、しでる[#「しでる」に傍線]――は、若返ると言ふのが、其正しい用語例である。沖縄諸島の真の初春に当る清明節の朝汲んだ水は、神聖視せられてゐる。ある地方では「節《シチ》の若水《ワカミヅ》」と言ひ、ある処では「節《シチ》のしぢ水」と称へてゐる。言ふまでもなく、日本の正月の若水だ。かうした信仰の残つてゐる以上は、支那起原説はあぶない。此、日本人の細かい感情の隈まで知つた異人は、日本の民間伝承は何でも、固有の信仰の変態だと説きたがる私の癖を知り過ぎてゐた。極めて稀に、うつかり発表した外来起原説を嗤ふ事が、強情な国粋家の心魂に徹する効果をあげる事を知つてゐた。さうして皮肉らしい笑ひで、私を見た。さういふ茶目吉さんだつた。其から年数がたつてゐるので、大分私の考へが這入つて来てゐるかも知れぬ。が大体かうした心切で、且痛い注意であつた。
なんでも月がまつ白に照つて、ある旧王族の御殿《オドン》だつたとか言ふ其屋敷の石垣の外に、うら声を曳く若い男の謡が、替る/″\聞える夜であつた。首里の川平朝令さんの家へ、末吉さんと二人で、およばれに行つてゐた。しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]は卵の孵ることだから、お尋ねの「節の若水」のしぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]とは別かも知れぬ。私は源河節にある「おすぢどころ」を永く疑うてゐたが、其すぢ[#「すぢ」に傍線]と一つで、洗ふ事ではあるまいか。水浴することも、手足を洗ふことも一つだから、首里などでも、以前は言うた語である。かう話された時、
『末吉さん。此間も聞いたよ。中城御殿《ナカグスクオドン》――旧王家の女性《ニヨシヤウ》たちの残り住んで居られる、今の尚家の首里邸――へ此人を案内した時も、手水盥に水を汲んで「御すぢみしようれ(みしようれ=ませ)」と言うたつけ。』
かう川平さんも、口を挿んだ。私は、残念でもねふすきい[#「ねふすきい」に傍線]さんの説が、段々確かになつて来るのを感じた。
『お二人さん。私の考へはかうです。今のお話で、しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]に二義ある事が知れました。孵る義と、沐浴に関する義とです。此は一つの原義から出たので、やつぱり先から言うてゐる「若がへる」と言ふ事に帰するのでせう。清明節に若水を国王に進める時に言うた語で「若がへりませ」の義であつた。其が、水をまゐらせる時のきまり文句として、常の朝の手水にも申し上げた。いつか「若やぎ遊ばせ」位の軽い意にとられて、国王以外の人々にも、鄭重な感じを以て言はれる様になつて「顔手足をお洗ひなさい」の古風な言ひまはしと考へられてゐるのです。教へて頂いた源河節なども、清明節の浜下《ハマウ》り・川下りの風から出た歌で、節の水で身禊ぎをする村人の群れに、娘たちもまじつた。其を窺ひ見たがる若者の心持ちなのでせう。清明節以外の祭りの日にも、川下りしたり、水浴びをしたかも知れない。ともかくやはり「若やぐ(若がへるよりも軽い意で)様に」との水浴びで、唯の「洗ふ」「浄める」ではありますまい。』
こんな話などをして那覇の宿へ引きとつた。其後四五日経つて、先島の方へ出掛けた。宮古島でもやはり孵る事らしい。八重山の四箇《シカ》では、孵るのにも言ふが、蛇や蟹の皮を蛻《ヌ》ぐ事にも用ゐられてゐる。此島には、物識りが多かつた。気象台の岩崎卓爾翁は固より、喜舎場永※[#「王+旬」、第3水準1−87−93]氏其他が申し合せた様に証歌をあげて説かれた。「やくぢゃま節」などにある「まれる[#「まれる」に傍線](=うまれる)かい、すでる[#「すでる」に傍線](=しぢる)かい」のすでる[#「すでる」に傍線]は、まれる[#「まれる」に傍線]の対句だから、やはり「生れる甲斐」である。しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]の孵るも、実は生れるといふ義から出たのだ。かう言ふ主張は、四五人から聞いた。
此島出の最初の文学士で、琉球諸島方言の採訪と研究とに一生を捧げる決心の宮良当壮君の「採訪南島語彙稿」の「孵る」の条を見ると、凡琉球らしい色合ひのある島と言ふ島は、道の島々・沖縄諸島・先島列島を通じて、大抵しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]・しぢるん[#「しぢるん」に傍線]・すでゆん[#「すでゆん」に傍線]などに近い形で、一般に使はれてゐる事が知れる。謂はゞ沖縄の標準語である。宮良君の苦労によつて訣つた事は、しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]が唯の「生れる」ことでないらしい事である。今度、宮良君が島々を歩く時には、「若返る」「沐浴する」「禊する」などに当る方言を集めて来てくれる様に頼まう。
清明節のしぢ水[#「しぢ水」に傍線]に、死んだ蛇がはまつたら、生き還つて這ひ去つた。其がしぢ水[#「しぢ水」に傍線]の威力を知つた初めだと説くのが、先島一帯の若水の起原説明らしい。此語は其以前ねふすきい[#「ねふすきい」に傍線]さんも、宮古・離島に採訪して来た様である。ある種の動物にはすでる[#「すでる」に傍線]と言ふ生れ方がある。蛇や鳥の様に、死んだ様な静止を続けた物の中から、又新しい生命の強い活動が始まる事である。生れ出た後を見ると、卵があり、殻がある。だから、かうした生れ方を、母胎から出る「生れる」と区別して、琉球語ではすでる[#「すでる」に傍線]と言うたのである。気さくな帰依府びとは、しぢ水[#「しぢ水」に傍線]とも若水とも言ふから、すでる[#「すでる」に傍線]・しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]に若返ると言ふ義のある事を考へたのである。さう説ける用例の、本島にもあつたことを述べた。
さう説くのが早道でもあり、ある点まで同じ事だが、論理上に可なりの飛躍があつた。すでる[#「すでる」に傍線]は母胎を経ない誕生であつたのだ。或は死からの誕生(復活)とも言へるであらう。又は、ある容れ物からの出現とも言はれよう。しぢ水[#「しぢ水」に傍線]は誕生が母胎によらぬ物には、実は関係のないもので、清明節の若水の起原説明の混乱から出てゐる事を指摘したのは、此為である。すでる[#「すでる」に傍線]ことのない人間が、此によつてすでる[#「すでる」に傍線]力を享けようとするのである。

     四

なぜ、すでる[#「すでる」に傍線]ことを願うたか。どうしてまた、此から言ふ様に、すでる[#「すでる」に傍線]能力のある人間が間々あつて、其が人間中の君主・英傑に限つてあることなのか。此説明は若水の起原のみか、日・琉古代霊魂崇拝の解説にもなり、其上、暦法の問題・祝詞の根本精神・日本思想成立の根柢に横《よこたは》つた統一原理の発見にもなるのである。
すでる[#「すでる」に傍線]と言ふ語には、前提としてある期間の休息を伴うてゐる。植物で言ふと枯死の冬の後、春の枝葉がさし、花が咲いて、皆去年より太く、大きく、豊かにさへなつて来る。此週期的の死は、更に大きな生の為にあつた。春から冬まで来て、野山の草木の一生は終る。翌年復春から冬までの一生がある。前の一年と後の一年とは互に無関係である。冬の枯死は、さうした全然違つた世界に入る為の準備期間だとも言へる。
だが、かうした考へ方は、北方から来た先祖の中には強く動いてゐても、若水を伝承した南方種の祖先には、結論はおなじでも、直接の原因にはなつてゐない。動物の例を見れば、もつと明らかに此事実が訣る。殊に熱帯を経て来たものとすれば、一層動物の生活の推移の観察が行き届いてゐる筈だ。蛇でも鳥でも、元の殻には収まりきらぬ大きさになつて、皮や卵殻を破つて出る。我々から見れば、皮を蛻ぐまでの間は、一種のねむり[#「ねむり」に傍線]の時期であつて、卵は誕生である。日・琉共通の先祖は、さうは考へなかつた。皮を蛻《ヌ》ぎ、卵を破つてからの生活を基礎として見た。其で、人間の知らぬ者が、転生身を獲る準備の為に、籠るのであつた。殊に空を自在に飛行する事から、前身の非凡さを考へ出す。畢竟卵や殻は、他界に転生し、前身とは異形《イギヤウ》の転身を得る為の安息所であつた。蛇は卵を出て後も、幾度か皮を蛻ぐ。茲に、這ふ虫の畏敬せられた訣がある。
南島では屡、蝶を鳥と同様に見てゐる。神又は悪魔の使女《ヴナヂ》としてゐるのは、鳥及び蝶であつた。わが国でも、てふとり[#「てふとり」に傍線]の名で、蝶を表してゐた。蛇よりも、蝶の変形は熱帯ほど激しかつた。蝶だと思うてゐると、卵の内にこもつてしまひ、また毛虫になつて出て来る。此が第二の卵なる繭に籠つて出て来ると、見替す美しさで、飛行自在の力を得て来る。だから卵や殻・繭などが神聖視せられて来るのである。
朝鮮では、鳥の卵を重く見るやうになつてゐた。卵から出た君主・英雄の話がある。古代君主の姓から、卵からと言ふより瓠から出たと解せられてゐるのもある。日本では朝鮮同様、殻其他の容れ物に入つて、他界から来ることになつてゐる。他界と他生物との違ひであるが、生物各別の天地に生きて、時々他の住居を訪ふものと見てゐた時代である。だから、畢竟おなじ事になるのだ。
秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》の壺・桃太郎の桃・瓜子姫子《ウリコヒメコ》の瓜など皆、水によつて漂ひついた事になつてゐる。だが此は、常世から来た神の事をも含んであるのだ。瓢・うつぼ舟・無目堅間《マナシカタマ》などに入つて、漂ひ行く神の話に分れて行く。だから、何れ、行かずとも、他界の生を受ける為に、赫耶姫は竹の節間《ヨノナカ》に籠つてゐた。此籠つてゐる、異形身を受ける間の生活の記憶が人間のこもり[#「こもり」に傍線]・いみ[#「いみ」に傍線]となつた。いみや[#「いみや」に傍線]にひたやこもり[#「ひたやこもり」に傍線]することが、人から身を受ける道と考へられた。尚厳重なものは、衾に裹まれて、長くゐねばならなかつた。
かうした殻皮などの間にゐる間が死であつて、死によつて得るものは、外来のある力である。其威力が殻の中の屍に入ると、すでる[#「すでる」に傍線]といふ誕生様式をとつて、出現することになる。正確に言へば、外来威力の身に入るか入らぬかゞ境であるが、まづ殻をもつて、前後生活の岐れ目と言うてよい。だから別殊の生を得るのだ。一方時間的に連続させて考へる様になると、よみがへり[#「よみがへり」に傍線]と考へられるのである。すでる[#「すでる」に傍線]は「若返る」意に近づく前に「よみがへる」意があり、更に其原義として、外来威力を受けて出現する用語例があつたのである。
大国主は形から謂へば、七度までも死から蘇つたものと見てよい。夜見の国では、恋人の入れ智慧で、死を免れてゐる。此は死から外来威力の附加を得たことの変化であらう。智恵も一つの外来威力を与ふるところだつたのである。
よみがへり[#「よみがへり」に傍線]の一つ前の用語例が、すでる[#「すでる」に傍線]の第一義で、日本の「をつ」も其に当る。彼方から来ると言ふ義で、をち[#「をち」に傍線]の動詞化の様に見えるが、或は自らするををつ[#「をつ」に傍線]、人のする時ををく[#「をく」に傍線](招)と言うたのか。さうすれば、語根「を」の意義まで溯る事が出来よう。をち[#「をち」に傍線]なる語が、人間生活の根本を表したらしい例は、をちなし[#「をちなし」に傍線]と言ふ語で、肝魂を落した者などを意味する。柳田国男先生は、まな[#「まな」に傍線]なる外来魂を稜威《イツ》なる古語で表したのだと言はれたが、恐らく正しい考へであらう。いつ[#「いつ」に傍線]・みいつ[#「みいつ」に傍線]
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