鮎の獲れる場処と言ふのは、国頭《クニガミ》海道の難処、源河の里の水辺である。里の処女の姿や、情《ナサケ》を謡ふ事が命の琉球の民謡には、村の若者のとりとめぬやるせなさの沁み出たものが多い。
三
東京へ引き出しても、不覚《オクレ》はとらなかつた筈の琉球学者末吉安恭さんは、島の旧伝承の生きた大きな庫であつた。さうして、私たちが、幾らも其知識を惹き出さない間に、那覇の入り江から彼岸浄土《ニライカナイ》の大主神《ウフヌシ》が呼びとつて了うた。
[#ここから2字下げ]
源河奔川《ヂンカハイカア》や、水か。湯か。潮《ウシユ》か。
源河|女童《ミヤラビ》の 御《ウ》すぢ[#「すぢ」に傍線]どころ(源河節)
[#ここで字下げ終わり]
此源河節に対する疑問などは、私にとつて、此学者の記念《カタミ》になつた。
私は其前年かに、宮古島から戻つて来て、今大阪外国語学校に居るにこらい・ねふすきい[#「にこらい・ねふすきい」に傍線]さんから、一つの好意に充ちた抗議を受けてゐた。私の旧著万葉集辞典と言ふのは、今では人に噂せられるさへ、肩身の窄まる思ひのする恥しい本である。其中に「変若水《ヲチミヅ》」と言
前へ
次へ
全43ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング