である。皇室のは此だ。だから神から見れば、一系の人は皆同格である。日本の天子が日の神・御祖《ミオヤ》・ひるめ[#「ひるめ」に傍線]の頃から、いつも血族的にはにゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同格のすめみま[#「すめみま」に傍線]であり、信仰的には忍穂耳命同様日の御子であつた。琉球時代は、天子をてだて[#「てだて」に傍線]と言うた。太陽の子である。後に太陽を譬喩にした者と感じて、太陽をさへてだて[#「てだて」に傍線]と言うた。日の御子である。
すでる[#「すでる」に傍線]の原義は、謂はゞ出現する事であつた。日本で言へば、出現の意のある[#「ある」に傍線]と言ふ語である。或はいづ[#「いづ」に傍線]である。すぢ[#「すぢ」に傍線]のつく動作を言ふ語で、即、母胎によらぬ誕生である。ある[#「ある」に傍線]と言ふ日本語も、在[#「在」に傍線]・有[#「有」に傍線]の義と言ふよりは、すでる[#「すでる」に傍線]義があつたのではないか。荒・現・顕などの内容があつた。あら人神[#「あら人神」に傍線]など言ふのも、すぢぁ[#「すぢぁ」に傍線]にして神なる者と言ふことで、君主の事である。地方の小君主
前へ 次へ
全43ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング