唯の「洗ふ」「浄める」ではありますまい。』
こんな話などをして那覇の宿へ引きとつた。其後四五日経つて、先島の方へ出掛けた。宮古島でもやはり孵る事らしい。八重山の四箇《シカ》では、孵るのにも言ふが、蛇や蟹の皮を蛻《ヌ》ぐ事にも用ゐられてゐる。此島には、物識りが多かつた。気象台の岩崎卓爾翁は固より、喜舎場永※[#「王+旬」、第3水準1−87−93]氏其他が申し合せた様に証歌をあげて説かれた。「やくぢゃま節」などにある「まれる[#「まれる」に傍線](=うまれる)かい、すでる[#「すでる」に傍線](=しぢる)かい」のすでる[#「すでる」に傍線]は、まれる[#「まれる」に傍線]の対句だから、やはり「生れる甲斐」である。しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]の孵るも、実は生れるといふ義から出たのだ。かう言ふ主張は、四五人から聞いた。
此島出の最初の文学士で、琉球諸島方言の採訪と研究とに一生を捧げる決心の宮良当壮君の「採訪南島語彙稿」の「孵る」の条を見ると、凡琉球らしい色合ひのある島と言ふ島は、道の島々・沖縄諸島・先島列島を通じて、大抵しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]・しぢるん[#「しぢるん」に傍線]・す
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