うした海岸の村々を歩いて、ぞつとさせられた。孤島苦が人間の姿を仮りて出た様な、いぶせくいたましい老人の倦い眦に遭うた時の気持ちである。山多きが故に山原《ヤンバル》で通つてゐる国頭郡の山中には、新暦の正月に赤い桜が咲くさうである。私は二度まで国頭の地を踏んだが、いつも東京でさへ暑い盛りの時ばかりであつた。一度は、緋桜の花の、熱帯性の濶葉《ヒロバ》の緑の木の間から、あはれに匂うてゐる様が見たいとは、思うたばかりで縁がない。其桜は日本旅《ヤマトタビ》の家づとに、昔誰かゞ持ち還つたものか。元々島の根生ひであつたか。其側の学者には、既に訣つてゐる事かも知れぬ。
加納諸平の「鰒玉集」には、島の貴族の作つたやまと歌[#「やまと歌」に傍線]が載つてゐる。薩摩の八田氏などから供給せられた材料であらう。其頃からもう、伊勢物語をなぞつた様な、島の貴族の自叙伝も出来てゐた。源氏や古今や万葉も、手に触れた人は尠くなかつた。国の古蹟・家の由緒を語る碑文《ヒノムン》の平仮名が、正確で弾力のない御家流である如く、島人の倭文・倭歌は、つれ/″\の結晶かと思はれる程、類型の重くるしさを湛へてゐる。島の孤島苦の目醒めには、島津氏などのやり方が、大分原因になつてゐる。やまと人と言へば薩摩者。こはらしい人ばかりの様に想像せられても、やつぱり何か心惹くものがあつたらう。
おもろ[#「おもろ」に傍線]草紙の古語にも、生きた首里の内裏語《ダイリコトバ》にも、やまと[#「やまと」に傍線]の古い語が、到る処に交りこんでゐた。首里宮廷の巫女の伝へた古詞には、島渡りして来た山城の都の御曹司《オンゾウシ》の俤が語られた。島々は島々で、遠い海を越えて来たと言ふ何もりの神[#「何もりの神」に傍線]なる平家の公達《キンダチ》を思はせる名の神が多かつた。弓張月以前にも、舜天王の父を、此山城の都から来た貴公子にする考への動いてゐたことは察せられる。古く岐れた一つ流れの民族であつた事は忘れても、又かうした新しい因縁を考へねばならぬ程、深い血筋の自覚があつたのである。尤、孤島苦が生み出したいぶせい事大主義からも、さうはなつたであらうが。問題は其よりも根本的のものであつた。
島の木立ちに、仮令《たとひ》忘れた様にでも、桜の花がまじり咲いた。かうした現実が、歌や物語や、江戸貢進使の上り・下りの海道談に、夢想を走《ハ》せ勝ちのやまと[#「やま
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