見える思想は、日本側の信仰を助けとして見ると、「よみがへるもの」でも訣るが、根柢は違ふ。一家系を先祖以来一人格と見て、其が常に休息の後また出て来る。初め神に仕へた者も、今仕へる者も、同じ人であると考へてゐたのだ。人であつて、神の霊に憑られて人格を換へて、霊感を発揮し得る者と言ふので、神人は尊い者であつた。其が次第に変化して来た。神に指定せられた後は、ある静止の後転生した非人格の者であるのに、それを敷衍して、前代と後代の間の静止(前代の死)の後も、それを後代がつぐのは、とりもなほさずすでる[#「すでる」に傍線]のであつて、おなじ資格で、おなじ人が居る事になる。
かうして幾代を経ても、死に依つて血族相承することを交替と考へず、同一人の休止・禁遏生活の状態と考へたのだ。死に対する物忌みは、実は此から出たので、古代信仰では死は穢れではなかつた。死は死でなく、生の為の静止期間であつた。出雲国造家の伝承がさうである。ほかでの祓へを科する穢れの、神に面する資格を得る為の物忌みであるのとは大分違ふ。家により地方により、此すでる[#「すでる」に傍線]期間に次代の人が物忌みの生活をする。休止が二つ重るわけである。皇室のは此だ。だから神から見れば、一系の人は皆同格である。日本の天子が日の神・御祖《ミオヤ》・ひるめ[#「ひるめ」に傍線]の頃から、いつも血族的にはにゝぎの命[#「にゝぎの命」に傍線]と同格のすめみま[#「すめみま」に傍線]であり、信仰的には忍穂耳命同様日の御子であつた。琉球時代は、天子をてだて[#「てだて」に傍線]と言うた。太陽の子である。後に太陽を譬喩にした者と感じて、太陽をさへてだて[#「てだて」に傍線]と言うた。日の御子である。
すでる[#「すでる」に傍線]の原義は、謂はゞ出現する事であつた。日本で言へば、出現の意のある[#「ある」に傍線]と言ふ語である。或はいづ[#「いづ」に傍線]である。すぢ[#「すぢ」に傍線]のつく動作を言ふ語で、即、母胎によらぬ誕生である。ある[#「ある」に傍線]と言ふ日本語も、在[#「在」に傍線]・有[#「有」に傍線]の義と言ふよりは、すでる[#「すでる」に傍線]義があつたのではないか。荒・現・顕などの内容があつた。あら人神[#「あら人神」に傍線]など言ふのも、すぢぁ[#「すぢぁ」に傍線]にして神なる者と言ふことで、君主の事である。地方の小君主
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