すつ」に傍線]・うつ[#「うつ」に傍線]・うつる[#「うつる」に傍線]も皆「をはる」の意から、投げ出すの義になつたものである。すだく[#「すだく」に傍線]は精霊などの出現集合することであらう。
かうして見ると、をつ[#「をつ」に傍線]・いつ[#「いつ」に傍線]に対するすつ[#「すつ」に傍線]があつた様である。奥津棄戸のすたへ[#「すたへ」に傍線]も霊牀の意であらう。をつ[#「をつ」に傍線]・いつ[#「いつ」に傍線]に当る琉球の古語「すぢ」は、せち[#「せち」に傍線]・しち[#「しち」に傍線]など色々の形になつてゐる。先祖などもすぢ[#「すぢ」に傍線]と言うた様である。よく見ると、神の義がある。聞得大君御殿《チフイヂンオドン》の三御前《ミオマヘ》の神、即おすぢ[#「おすぢ」に傍線]のお前・金の御おすぢ[#「おすぢ」に傍線]の御前・御火鉢の御前の中、金のみおすぢ[#「金のみおすぢ」に傍線]は、米と共に来た霊であつて、後世穀神に祀つた。おすぢの御前[#「おすぢの御前」に傍線]は先祖の神と解せられてゐるが、王朝代々の守護神なる外来魂である。

     五

私は、すぢぁ[#「すぢぁ」に傍線]といふ「人間」の義の琉球古語の語原を「すでる者」「生れる者(あ[#「あ」に傍線]は名詞語尾)」の義に解してゐたが、抑《そもそも》此解釈の出発点に誤解のあることを悟つた。すでる[#「すでる」に傍線]者は即、外来魂を受けて出現する能力あるものゝ意である。だが、皆此語の用例は特殊である。神意を受けた産出者である。選ばれた人である。恐らく神人の義であること、日本のひと[#「ひと」に傍線]・ますひと[#「ますひと」に傍線](まさ)と同じで、巫女の古詞章に出て来るものは、神人以外の者には亘らぬから、同じ古詞の中にも、すぢぁ[#「すぢぁ」に傍線]が一般の人の義に解して用ゐられ、世間でも使ふ様になつたのだと思ふ。国王及び貴人の家族は皆神人だから、すぢぁ[#「すぢぁ」に傍線]である。すぢ人[#「すぢ人」に傍線]と言ふよりは、すぢり人[#「すぢり人」に傍線]の意である。すぢ[#「すぢ」に傍線]の守護から力を生じるとして、すぢ[#「すぢ」に傍線]を言はぬ世にはまぶり[#「まぶり」に傍線](守り)を以て魂を現した。体外の魂を正邪に係らずもの[#「もの」に傍線]と言ふ様になつた。
すぢぁ[#「すぢぁ」に傍線]に
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