うれ(みしようれ=ませ)」と言うたつけ。』
かう川平さんも、口を挿んだ。私は、残念でもねふすきい[#「ねふすきい」に傍線]さんの説が、段々確かになつて来るのを感じた。
『お二人さん。私の考へはかうです。今のお話で、しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]に二義ある事が知れました。孵る義と、沐浴に関する義とです。此は一つの原義から出たので、やつぱり先から言うてゐる「若がへる」と言ふ事に帰するのでせう。清明節に若水を国王に進める時に言うた語で「若がへりませ」の義であつた。其が、水をまゐらせる時のきまり文句として、常の朝の手水にも申し上げた。いつか「若やぎ遊ばせ」位の軽い意にとられて、国王以外の人々にも、鄭重な感じを以て言はれる様になつて「顔手足をお洗ひなさい」の古風な言ひまはしと考へられてゐるのです。教へて頂いた源河節なども、清明節の浜下《ハマウ》り・川下りの風から出た歌で、節の水で身禊ぎをする村人の群れに、娘たちもまじつた。其を窺ひ見たがる若者の心持ちなのでせう。清明節以外の祭りの日にも、川下りしたり、水浴びをしたかも知れない。ともかくやはり「若やぐ(若がへるよりも軽い意で)様に」との水浴びで、唯の「洗ふ」「浄める」ではありますまい。』
こんな話などをして那覇の宿へ引きとつた。其後四五日経つて、先島の方へ出掛けた。宮古島でもやはり孵る事らしい。八重山の四箇《シカ》では、孵るのにも言ふが、蛇や蟹の皮を蛻《ヌ》ぐ事にも用ゐられてゐる。此島には、物識りが多かつた。気象台の岩崎卓爾翁は固より、喜舎場永※[#「王+旬」、第3水準1−87−93]氏其他が申し合せた様に証歌をあげて説かれた。「やくぢゃま節」などにある「まれる[#「まれる」に傍線](=うまれる)かい、すでる[#「すでる」に傍線](=しぢる)かい」のすでる[#「すでる」に傍線]は、まれる[#「まれる」に傍線]の対句だから、やはり「生れる甲斐」である。しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]の孵るも、実は生れるといふ義から出たのだ。かう言ふ主張は、四五人から聞いた。
此島出の最初の文学士で、琉球諸島方言の採訪と研究とに一生を捧げる決心の宮良当壮君の「採訪南島語彙稿」の「孵る」の条を見ると、凡琉球らしい色合ひのある島と言ふ島は、道の島々・沖縄諸島・先島列島を通じて、大抵しぢゆん[#「しぢゆん」に傍線]・しぢるん[#「しぢるん」に傍線]・す
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