の後を次に譲って、ねたみはない。だいたい不思議なほど、自分らが連れてきたものに譲っていっている。秩序なく考えると、一緒だと思うが、しだいしだいにあがってゆくのが順序なのであろう。
 こんな一群が幾流れかあって、この同じ流れの間では軋轢が起こらぬ。女でも腹の立つことがあろうと思うが、それはわれわれの先入見かもしれぬ。平安朝の結婚の形式ではっきりしてくることは、昔ならむかいめ(嫡妻)があって、その他に側室があるように考えられるふうに書いてあるが、平安朝では嫡妻はなく、有力なものが二人三人あり、この間の軋轢はひどい。Aの流れは共同してBにあたる。嫉妬の形が違うわけである。そう言うても安んじないが、そういう様式を守っているので、同族の中から出たもので争うのは、原始的な感情から解放されるか、あるいは新しいものに触れたのが遅いかで、その点、世間の普通の感情がこうだからとは決められぬ。
 宮廷のことをうわさするのは、おそれ多いが、本当の美しい心でせねばならぬ。宮廷には大きい二つの流れが、妻妾にある。私は、これを火と水とにたとえている。火の系統から出るお方と、水の系統から出るお方とがあって、火の系統は
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