がなければならぬことになる。神事ですべて解釈できるように、個人は考えられず、族人として考えねばならぬ。妻と言うてもかならず一群の妻である。垂仁天皇の皇后が亡くなられるとき、あとの皇后を推薦される。「汝の堅めたるみづのをひもは誰かも解かむ」という天皇の仰せに答えられるのであるが、これは神事である。ところが、自分とすっかり系統の違う丹波の国の道主の娘が、これをするだろうと言われた。それで、道主の娘五人を召された。記と紀とでは違うが、五人のうち二人は、嫌われて国へ帰る途中、自殺した。それで、この系統にもののけがかかる。平安朝には族人にかかる呪い、すなわち、もののけがあり、呪うて死んでいる。この道主の系統は、後に丹波の八乙女となって残っていて、宮廷と伊勢とに行くことになっている。
こんなに何人も妃が出てきたということは、姉から妹へしとねが譲られてゆくのである。だから宮廷でも他の家でも、一族の間では、まず嫉妬とみられるものはなかった。ただ一人、允恭天皇の皇后で、天皇と衣通姫とのことを聞いて、おおいに恨まれたということがあるが、これは衣通姫を迫害しているのではなく、夫を恨んでいるだけである。自分
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